クリスマスは何の日か、わかった。といえるようになったのは多分きっとその時。

中学高校、短大とクリスマス礼拝をささげるような学校だったので、クリスマスはケーキを食べる日ではないということは、知識的に知ってはいたけれども、当時わたしがどれだけイエス様のことを信じていたのか?知っていたのか?というと、

正直なところ、イエス様はおとぎ話の中の人のようで牧師さんや信仰告白をして洗礼名をもらう珍しい人たちの話を聞いてはいろんな人がいるんだなぁ。そんな感想を毎年抱くだけでした。

そんな私ですが毎年、クリスマス礼拝の奏楽を担当する部活をしていたので、ヘンデルのメサイヤとか、いわゆるクリスマスキャロルなどを恒例のごとく練習にいそしむわけで、リハーサルや練習を重ねるのも学年が上がる分だけだいぶ身についてくるようになります。

そんな中で、毎年同じ時期に世界中で何百年、それこそ千年以上超えてクリスマス(キリストを礼拝するの意味だそう)を守ってきたこと、それが本当に不思議で、イエス様は本当にいらっしゃったのか?リアルなことなのか?と考えが深くなるクリスマスでした。

とくに、礼拝の中で神様に感謝をささげるあのひととき、あたたかなものに包まれる感じがして、信仰者でも何でもない自分なのに、聖句が思い浮かんできてなんでだろうかなぁと本当にさらに不思議だった。

「神はその一人子を与えるほどにこの世を愛された」

クリスマス礼拝の中でキャンドルサービスの際の一つのお決まりのような聖句。

この一言に、イエス様がどんな存在なのかも含められているとしても、まったくわからない。そんな中学3年生のときに、「求めよそうすれば与えられる」って言うし教えてくださいと求めてみるか。と、奏楽の練習の中、しつこくこの聖句の意味を分かるようにしてください。と求めながら練習をし続けたところ、クリスマス礼拝の当日に雷に打たれたような電流が頭からつま先に抜けるようなかんじで「そうか、そういうことなんだ」と勝手に感動するという出来事がおきたのでした。

第三者からすると、だからなんだ。という話でまことに恐縮ですが、その一撃で私がイエス様を救い主として信じるようになったという劇的なエピソードではないのです。

神様はいらっしゃり、計り知れないその愛ゆえにイエス様を人類のために送った。それが打たれた内容でしたが、肝心なイエス様については、残念ながら何がどうして救い主なのか?が曖昧模糊のまま私は卒業し、教会を巡って救いって何?と放浪もどきをしておりました。が、なかなかピンとくることがなかったのです。

とあるキリスト教の教会では肉体が死んでもイエス様を信じれば生き返ると信じることが救いだ。と言われても、残念ながら、私には響かず。ほかの教会の牧師さんはどうなんだ?というと「信じることで心に平安が訪れる。心の平安が救いである。」イエス様の存在は希望である。と、こちらの話はまだ少し理解できるとしても、ふわっとした内容すぎて、救いってほんとにそういうものなのか?と疑問が生じてしまったり、納得がいく説明を得られないまま時ばかりが過ぎておりました。

ここでもないなぁ、こっちでもないなぁ。あの雷の電流みたいな衝撃、あの感激はけっきょく私の気のせいだったのか?聖書に「私のもとに来なさい」ってイエス様おっしゃったことけれど、数百年以上経ても残っている言葉だから意味があるはずだけれど、私は論外なのか?

 そんな考えが徐々に強まってきてしまい、もう自分にはキリストもキリスト教も縁がないってことかな。日本人だしな。と、適当な理由であきらめてたんですが、通称摂理(キリスト教福音宣教会)の信徒だった韓国からの留学生だった友達から「ご飯食べに来てよ。トッポキを作るから。」と誘われていったところ、素敵なイエス様の写真があり、この写真欲しい!どこでもらえるの?と訊いたら速攻で断られつつ、そのイエス様の写真について、そしてイエス様を本当に愛している牧師さんについて教えてくれるという機会が訪れました。

そうその牧師さんがチョンミョンソク牧師でした。
チョンミョンソク牧師は、牧師になる前からイエス様のことが大好きで、大好きすぎてイエス様がなぜ十字架で死ななければならなかったのかを悟った時、3日間泣いて弔いをしたそうです。え?それは誇大表現では?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、誇張なく本当にそうされたそうです。

毎年、クリスマスの時期になるとイエス様の生誕を心から祝われる姿を見てきましたが、
飾り付けをあれこれ毎年工夫され、真心こめてお祝いしてイエス様を地上に送ってくださった神様に心から感謝を捧げている姿をみるとイエス様を本当に愛しているんだなぁ。と、にじみ出るイエス様愛を感じ、微笑ましくなりました。

そしてだからこそ、イエス様がおっしゃったことを一つ一つ実践して来られたことも、現在進行形で昔も今も変わらないのは、ひたすら神様イエス様を愛しているからなんだなと再痛感。

クリスマスをわかって迎える。と、どうなるか?というと自分が生きる今もこれからも、もっと感謝と喜びをもって平和を大切にしながら生きるんだなとチョンミョンソク牧師を見て思うのです。そして、私もそのように生きたい。そう思います。

先生は今も昔も苦痛という言葉では足りない状況環境に置かれていますが、そのなかでもイエス様の愛とその救いとは、何なのか。極限の中でも、ずっと変わらずに伝え続けています。

はっきりとわかりやすく、それだけでなく何よりも行いながら教え続けてくれている。

行ないながら、わかりやすくはっきりと教えてくれるそういう方に出会わせてくださいと求めたことを神様は忘れずに本当に私の祈りを聞いてくださったのだと、しみじみ思います。

どうにもならぬ時を超える、そのチカラその味。

たとえば、近しい関係。
そう家族とか。家族とか。家族。
家族ほど、むずかしくどうにもならないもどかしさ、苦しさを味わうのは多分、私だけではないはずだとおもっておりましたが、たまたま最近ご両親と過ごす中でまさにそういう時を過ごした。というお話を伺うことがありました。

食事を作ってさぁ食べようとしたときに、何かが気に入らないお父さん。
あからさまな苦々しいお顔。せっかく作ったのに、それはないでしょう。という気持ちと、それでも口には出さずに苦い顔で食べてはいるので、まぁよいとしなければという気持ちが激しくぶつかり混ざり合いになり、皮肉な言葉をなにかぶつけたくなる衝動をなんとか抑えるのに必死だったそうです。

棘のある一言を言うことは簡単かつ、言ったらすっきりする。
しかし、言った途端に夕食の時間は穏やかなものではなくなり後悔するような気持になるのは容易に想像がつく。だからこそ、吐き出しそうになる言葉をぐっと飲みこみつつ、ひたすら「神様!どうかこの状況をどうにかしてください!!自分の力ではどうにもできないです!!!」と呼び求め続けたそうです。

そして、どうなったと思いますか?
お父さんの苦々しい顔も、お父さんのその様子をみて何か言いたくなる衝動を抑えることやそういう感情が湧いてくることへの苦しさでいっぱいだったその方も、いっぺんに転換する出来事が起きたそうです。

ご両親が嫌いな「ナメクジ」が家の中に入ってきてしまっていることにふと視線の端にとらえたところから、ナメクジ対処に大騒ぎしながら一致団結が起きて重苦しい空気が一気に吹き飛んだそうです。

なんだ、いい偶然が起きてよかったじゃないか。そう思う方が多いかもしれませんが、偶然は必然という言葉もあるように、偶然だとしても、気づかなければそういう流れも起きなかったわけです。特に激しい憤りが心に生じているときなど気づくのはむずかしいはず。

人間が先に神様を呼び求めること。かならず、神様は働きかけてくださる。
その味をもってやはり神様は助けてくださる!!という味で、信仰っていいなぁと思ったという話を聞きながら、たしかに自分の力ではどうにもできないというときこそ、心の底から呼び求めるときに、神様の御働きをかんじるよね~と盛り上がりました。

神様を呼び求めるとかならず、心考えに働きかけてくださる。日々の中でこういう自分の力ではできないという場面を、神様とともに変えていく。それはちいさいけれども、本当に大きなことだよなあと、気づかせていただきました。

なぜならば自分の考えと次元では、本当に自分が嫌になることばかりだからです。
過ぎてしまえば、そうだ笑い飛ばしていけることかもしれないよね。
と、そういう気持ちや違った観点が生じます。

自分の考えから抜け出す。それはほんとに、困難そのものですが神様を呼び求めることで、
新しい景色を見ることができる。
それが信仰の味だなとあらためてうれしさと喜びを一緒に分かち合ったのでした。