今だから言えること。

今から17年くらい前、何歳か上の人が「ホントに無罪ならば逃げないはず」だと「海外を逃げ回っている」と、言っているのをその当時、まだ神様の愛もイエス様が伝えたかった救いについても自分に結び付くには、まだ遠い感じがしていたころだったけれども、それは違うと、異を唱えたい思いを抱えたものだった。

具体的になぜそうではない。と、反論出来なくて、そんな自分に歯がゆさというか、やるせなさばかり感じるしかなかった。

今は、はっきり言える。

あの時、現地マフィア?ヤクザ?に付け狙われても、食べ物もなくても恨まず、ひたすら神様を呼び求めながら、真理と愛とは。と、伝えてくれたその言葉と姿が、憎しみ憤りとは無縁なその笑顔が、目には見えない神様を見えるように教えてくれた。それが、文字どおり、命懸けだから。

生きるより、死ぬことのほうがいいのではないかとばかり考える私には、たしかな光となったこと。

今私が生きているのは、

死ぬことばかり考えなくなったのは、

ニゲテルなんて言われようが、誰よりも命について向き合っている、ひたむきなその総てによります。と。

こうなるから、そうするしかなかったんだ。と、

そう事実を伝えたい。

ヴァンフォーレ甲府の天皇杯の決勝戦でチョンミョンソク牧師を思い出したのはなぜか。

リアルタイムで後半戦37分あたりから見始めたのですが、思いのほか(ファンには申し訳ないが)スゴイいい試合で、どっちが勝ってもこれは素晴らしいと心から思う試合でした。ホント見れて良かった😂

県民でありながら、そんなに関心があるとは言えない私が物申すのも恐縮ですが、ヴァンフォーレ甲府のサポーターの皆さんは真摯な応援と試合後の客席のゴミ拾い活動をされるなどサポーターとしての誇りを持った行動を以前からされている印象がありました。

一時存続の危機が危ぶまれたことがあったヴァンフォーレが今日までこれたのは、サポーターの皆さんがいてこそだ。と、各方面から常々聴いてきましたが、優勝インタビューの一言で選手の方が開口一番に「県民の皆さん!おめでとうございます!」と呼びかけていて、本気でサポーターの皆さんはじめ、県民のことを大切に思いながらプレーしていたのを感じました。

不運のような偶発的な失点で、このまま苦い思いで終わってしまうかもしれないとなった瞬間、「そんなことでは終わらせない」とインタビューのときに話されてましたが、その強い想いが相手のボールを止めた姿と、一人ひとりが言葉を直接交わさないとしても、表情や雰囲気がみんな失望も落胆していなくて、ひたすらただみんなで勝とうとするのが伝わってくる。いわゆる信頼とか、絆とかそういうコトバにすると単純すぎて使うのがはばかれるような気持ちになるくらい、あまりに自然なのに重みがありました。

キャプテンの荒木選手のインタビューでの一言が今日来れていない選手や、怪我をしてしまった選手のことに触れていることも、あぁ本当に愛がある牧会者的な方だなぁ。こういう方がキャプテンだとチームの雰囲気が良いだろうなあと思ったり。

勝敗が決まったPKの最後の勝敗を決める一蹴をされた山本選手はヴァンフォーレがいろいろと芳しくないときもずっと20年間、絶えず頑張ってくれて来た方。その方が、最後に蹴るというのは、計り知れない思いがあると思うのですが、だからこそ、行なった通りになる。そう感じました。

サポーターの皆さんの切実に祈る姿、いくら近隣の神奈川県だとしてもまさかの総勢パス20台で約2万人が向かったというその心意気にしびれました。

それぞれが、互いを大切に思って、自分の出来ること、自分がすべきことを心と思いつくして行うときに、歴史が起こるのだなと。誰かのために一生懸命におこなうってなんて感動させられるのだろうかと大粒の涙で知らぬ間に服の袖が重くなるという日曜の午後でした。

愛なんて、言葉だけで実際はないのでは、、と若いころ思っていた私がこんな風にスポーツ観戦で感動する日が来るとは!と、我ながら過去との変わり様に驚きつつ、感動POINTを拾えるようになると人生楽しいなぁとおもったり。(単に年をとって涙もろくなったと言われたらそれまでですが(笑))

聖書に、すべてが滅んでも愛だけは残る。そう書いてありますが、その愛とはどんなものなのか?チョンミョンソク牧師が行なってきた姿から目が開かれたのかもなぁと思ったのです。

訪ねて来た人たちにお餅を配って自分の分がなくなってしまったり、散策路を通るときに枝によって怪我しないようにと、広大だとしても丁寧に整備をしたり、そういう日々のなかでのさり気無いこと一つひとつ。

愛は、高ぶらない。その愛に癒やされるというか。

愛は使えば使うほど大きくて価値がある。

愛でこの世を創造された神様の愛の法則をヴァンフォーレ甲府の天皇杯決勝戦を、通して見せてもらったなぁと思ったのでした。