神様の心が少しだけわかる。

聖書の読み方を教えてもらってから
通読をし始めて、気づく事、感じる事、学ぶことがその回ごとにある。

最初はあまりにも読みづらくて大変だった旧約聖書だが、
通読5回目くらいになった時、神様の傷ついた心を感じられるようになった。

するなといったことをしたら災いだと仰った御言葉を守れずに
幾度も民族的な艱難を受けるイスラエルの民の姿を見つめる神様の痛々しい心。

人の心はあまりにも変わりやすい。

その痛みを感じた。

わたしは、自分を含めて人を信じることが難しい人だ。
なぜならば、心が変わりやすいから。

そんな人がチョンミョンソク先生をどうして信用するのか?というと、
先生は誰よりも辛い思いを今もしているはずなのに、変わらず愛で接するから。

チョンミョンソク先生のことを悪く言う人達がいるとしても、
変わらない心を持っている先生を見たから、私は先生を信じるしかない。

無念な思いをしても、
変わらない心で神様の愛と真理について
行ないながら、
命がけで伝えている奇跡のような姿を今も見ているから

変わらない愛をずっと待っていた神様の心を満たしただろう先生を
神様がどんな心で見ているのかが、少しだけわかる。

節約するしかない状況から経済と時間感覚の復興。

実家暮らしだから楽でしょうお金たまるんじゃない?って思うメンバーが結構いる

私は時給契約で働いている低所得者なので、正直山梨から東京に通うことでいっぱい一杯。
それでも、この状況を通して、私の死んでいた感覚が呼び起こされ培われるようになった。
というのは、

10代後半から摂理で信仰持つまでは、死ぬことばかり考えていたため、わたしの経済・時間感覚が死んでいた。
山梨から東京へ礼拝を捧げに行くことに全ての神経を集中させることで、取捨選択が明確化されて
有限な時間とお金について切実に考えるしかない。

楽ではないから、より善くなるように創意工夫・考えるしかない。
「無理だ」を「出来る」に変える
チョンミョンソク先生の精神を思うしかない。

 

 

時間とお金は有限、自分を治めるということは、その有限な時間とお金をどのように治めるのか・使うのか。
人生をどう生きるのか?は考えにかかっている。
山梨から東京に通う生活の中で、時間とお金と信仰について、シビアに考える事ができたのが良かった。

こういう状況で学ぶこと。培われるものが確かにある。
神様はやはり素晴らしい。