宇野君の会見をとおして自分の間違いとむずかしさを知る。

連日、1万件以上のツイートでトレンド入りをしている「宇野君」

初のオリンピック出場ながら、堂々と自分らしい演技をされるのが素晴らしく、歴史的な結果を手にされながらマイペースな飾り気ない印象的なコメント。

まさに時の人になるしかない方!ですが、その宇野選手に対して、間違った印象を持ってしまっていたことを一般視聴者の方のツイート(ぽめたに @IBDさん)から教えてもらいました。

NEWS ZEROで櫻井翔さんが、宇野選手が言わんとしていたことを自然に引き出している瞬間を紹介して下さっているツイートだったんですが、

私が抱いていた宇野選手のイメージがまったくの間違いだと気付かされました。

4年に一度のオリンピックを「特別ではない」と言い切るコメントを「大物!」「おもしろいね!」と思う方もいらっしゃれば、あまりにも動じない感性に戸惑いを感じた方も少なからずいるはず・・・というか、正直なところ宇野選手の人柄に疑問を感じるというか、好感度が低かったんです(^_^;)

なので、この方のツイートから真意を知るきっかけをいただいたことに心から感謝しています。

[arve url=”https://youtu.be/Jp5z8YImE3s” /]

宇野選手がどうして「オリンピックは特別ではない」という表現されたのか、
それは無神経なマイペースさでなはなくて
「目の前の試合に集中していけば「今」に至る」というぶれがない”ひたむきさ”からでした。

NHKが提供している3分でまとめられている会見も、最後の方(2分40秒当たりの部分)に宇野選手の実直さがにじみ出るコメントがありました。

「課題、ハビエル・フェルナンデス選手や羽生選手のようなジャンプの高さの完成度が自分には足りていないので、来シーズンに向けても、今シーズンの世界選手権に向けても取り組むべきところかなと思っています。」

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/KA644mKdamo” /]

「コトバは「思い」という氷山の一角だ」という話を昔国語の教科書で読んだ覚えがありますが、
本当にそうだなと改めて思うのと、人の話を最後まで聴くことって重要だと痛感。

そして、どこをどう切り取るかで全く違う。。。
同じ素材でも調理の仕方で全く違うように、インタビューアーはじめ「伝え手」にかかっている事も感じました。

誤解されないようにコメントする必要もあるのでは?という方の意見も確かに一理あると思いますが
宇野選手の今後に対する決意と冷静さが見える結論部分のコメントよりも、印象的なコメントをより前にだしていたり、宇野選手の一言に込められた真意を引き出すことよりも、放送されている番組で自分の意見感想を言ってしまう方もいらっしゃるその内容が、まるで選手ご本人の真意かのように独り歩きしてしまうこともあるだろうな・・・という恐ろしさもかんじ

宇野選手だけでなくて羽生選手も、みなさん演技だけでなく、緊張と精神力をMAX使った後に、こういったところにも気を遣わなければならないんだなぁと、やるせない気持ちにもなりました。

インタビューする方も、される方も、そして報道を受け取る側も。
むずかしい。。。。

思いやりというか、推し量る心。
そういうのもっと育てなきゃ自分。と省みる機会にもなったり、

報道は「切り取る」ことが前提!と知っていたのにもかかわらず、この有様。かつ

わたしの発言・発信も、誰かに「戸惑い」や「誤解」を与える可能性もある。

そういう「意図していないショック」を与えていないか?

今まで以上にいっそう気をつけよう(>_<)そう思いました。

勧誘とは?

東京へと向かうある日曜日の朝。
高速バスの中で主日礼拝の聖句を読んだり、旧約聖書の通読をしていた時・・・・
隣の席の男性がなんだか何か言いたげなオーラを醸し出されてきました。が、気づかないフリでガン無視をしました。

しかし直後に「話しかけてみたほうがいい」そんな受信したくないインスピレーションを強烈に受けてしまい。

「いや、うそでしょ何で話しかけんの?ありえない」と人間嫌いな私は、その「話しかけたほうがいい」というインスピレーションも無視しようとしたのですが、時間が過ぎるほど耐えがたく強くなるインスピレーションと「話しかけてみて」「無理です」の押し問答のすえ「神様が下さるインスピレーションだったら無視してはいけないよね」と言われた感じがして「じゃ、どーでもいいコトを投げかけてみますから、話しかけるべきでない人の場合はすぐに話が終了するようにしてください!おねがいしますね!!」とお願いしながら「あの、バスの時刻表って改編されましたっけ?」とネットで調べればいいんじゃない?的な質問をしてみました。

返ってきた答えは「あ~わからないですね。すみません、」

ということで謝らせてしまいハイ終了。となるかと思いきや、今度は先方から「聖書読んでますよね?」と訊かれてきました。

意外すぎる展開。
「教会で礼拝を捧げに行くので読んでいました。」と答えたところ「わざわざ、山梨から東京に行くんですか?熱心にあちらこちらに線を引いていたりしてスゴイなとおもったんです」となぜかお褒めの言葉をいただき、想定外のお言葉にしどろもどろになりつつ「山梨にはない教会なんで、通っているだけです。感動したり、分からないなって思ったところに線を引いただけです(^_^;)どうして聖書ってわかったんですか?」と質問ラリーが始まり

「自分も昔読んだことがあって・・・でもわからな過ぎて読むのをやめました。けれども聖書ってすごい本ですよね。いろんな分野に影響を与えているから。」と、なんだか話が続くしかない状況に。

その方は東京生まれ東京育ちで、東京のカトリックのミッション系の男子校で聖書に触れたことがあったそうです。
なんで山梨から新宿行きのバスに乗るのか?というと山梨学院の法学部で司法試験に向けての準備をしているのだそう。

「銀行に勤めていたんだけど、ものすごい社会の闇を見てしまって・・・・どうせ生きるならば人の役に立つ仕事をしたいなと思ったんですよね。こんな歳食っているけれど、弁護士になろうと思って目指しています。」
という、どこかのドラマの主人公ですか?みたいな方でした。

そーこーしているうちに新宿に着き山手線で池袋方面に乗ると言ったら「同じ方向です。」というわけでまだまだ話が続くことに・・・駅のホームで「神様ってなんで悪をつくったんでしょうね・・・」とポツリと言われたからには、だまって居られず
「神様は悪を作っていませんよ~。創世記の2章を読んでみて下さいココ、ココ。」とアダムとエバの話の要点を話すしかない流れに・・・。

聖句を引きながらざっくり罪刑法定主義(法学部の方は私よりわかるはず)のことや、イエス様の十字架など旧約・新約をダイジェストに語たったところ「すごい。論理的で理解しやすい!」と言われたので「くわしく教えてくれる教会なんですよ~」と自然と伝道の流れが出来上がってしまいました。

なるほど、神様この方の心をご覧になって「声かけろ」とインスピレーション下さったんですね。
驚き仰ぎみる神様の御業。

男性は司法試験が今はあるから、教会に通うとか聖書勉強するとかそういう気持はないとのことでしたが、いやココまで聖書の話が出て来たからには得るべき答え得られたらイイよね?!と思いまして「人生の問題の答えは聖書にありますから必ず読んでみて下さいね!!そして試験受かりますように!」とお伝えし、私が励まされたチョンミョンソク先生による格言カードを渡してあばよと去りました。

というわけで、神様ってすごい。
そう思った日でした。