父が誕生日で感慨深い。

父の誕生日をささやかにお祝いをしたんですが、とても可愛らしく喜んでいました。

ほんとうに大したことがない物でも、喜んでもらえてなんだか、こそばゆかったです。

昔、父と2年間全く話さなかったときがあります。
色々なことがかさなってそうなったんですが、いつからまた話すようになったかというと、私がキリスト教福音宣教会(摂理)に通うようになったとき、心配しているようだったので、私から話をするようになりました。

教会行事、クリスマス礼拝やスキー合宿にも誘って教会のメンバーと自然に交流する中で「いい人たちにお世話になっている」という認識を持ったみたいで畑の収穫があるごとに「教会の皆さんに渡してくれ」と持たせてくれます。

父とのわだかまりが色々と解けて行くようになっったのと、私の信仰生活が始まったのは同時だったかも。。。と父の誕生日に振り返りつつ

そろそろクリスマスイベントに誘ってみようと思うのでした。

真実さって何か?と、思ったらコレ。

どうして教会に通うようになったのか?

それが気になる方にはこの松井さんの動画ですっきり見えるものがあるはず。

じつは松井さん、わたしの太極拳の先生です。(さいきんご無沙汰しており、恐縮ですが(^_^;)

いつも優しい笑顔でキラッと光る一言をさりげなく話されるとても素敵な方なのですが、そうか。
やはり本を読むことって大きいのだなぁ(それだけが人柄の理由ではないと思いますが)とあらためて思いました。

「私は凡庸だから」って一言が口から普通には飛び出す人は、けっして凡庸じゃないですと思うのは私だけでないはず笑

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