お前はもう死んでいると言われた女。

その敵意どうして?と思う目にあうと、不覚にも涙目になるか、血気出し応戦したくなるかのどちらか。
そんな極端な私。

これが皮肉か!Theイビリを体験のさなか、摂理(キリスト福音宣教会)の教会に通わなくなって久しい妹から烙印を押されました。

「理想論ばっかりで、行ないがない。」と、
つまりは聖書的にいうと「行ないがない信仰は死んだものである。」
⇒「お前はもう死んでいる」という事です。

じつは
それかなり前から、自覚があります。
分かっている・・・・分かっているけれど、そこで止まっている!!というところがマズすぎる。
ので、
ヌルいイビリ(ある意味コント)の一例をもとに思案しました。。。

「ボード持ってきて」と言われて持っていったら「ペンは無いのね」と冷淡に応酬という事例。

「じゃ、はじめからそのように言ってくださいね(怒)」と、思うのが私の考えのレベルですが、じゃチョンミョンソク牧師だったらこれどう対応するんだろうか?と。

それで思い浮かんできたその姿は・・・
血反吐を吐く軍隊生活で鬼上官と仲良くなったチョンミョンソク牧師。
平和友好関係を築くそのスキルというのか、そのマインドを得たくて、どうしたら良いのだろうか?と。
もしこの場にいたらどうされるんだろうかと。
もしもの妄想をしてみたところ・・

「たしかにその観点無かった!ごめんね気が付かなくて!次回気をつける!」と、

素直に明るく、認めるところ認めて次回に繋げられるように努めるんじゃないかなぁ。
気づかせてくれてありがとう!とまで屈託なく、言いそうだなぁと。
なんだか、その笑顔まで思い出せて来たらココロの中に生じた暗雲はいつの間に霧のようになくなりました。

そんな感じで、このようにこうだ。でお手本があるってしあわせ。
死んだ女の起死回生、復活の序章。
復活するには、完全に死んでこそだから。
幸先が良いかもしれない。
っと前向きに復活の生活を継続中。

コワイを克服すること。小さなせんせいに教えてもらいました。

春爛漫。

さくらの開花を楽しむそんな今日日。

ひさしぶりに山梨をおとずれた姪っ子と公園に行ってきました。

前回あった時より頭一個分大きくなった姪っ子。

彼女は力が有り余っているらしく、家の中でのあそびだと限界がある模様。

ということで、山梨県下では遊具数NO.1といわれている「みだいみなみ公園」に行ってみたのでした。

しばらく来なかったうちに、遊具が入れ替わっていて、対象年齢は12歳までと明記されていました。

なんと。。。わたしここのザイルクライミングを楽しみにして来たのに。と、残念さハンパない。
そして、ザイルクライミング自体のサイズも前と比べて少し低くなっていました。

そういえば、大きなお兄ちゃんが面白がってぴょんぴょん飛び跳ねて揺らされたなぁ。すごくこわかったなぁと、小学生の時分を思い出しました。。。
そんな過去が思い出されたので安全に楽しめるように変わったのねと納得。

公園内の立て看板にも「中学生以上の方は小さいお子さんにぶつからないように配慮をおねがいします」というような案内がありました。

というわけで、お子様たちは各々のびのびと遊具で身体能力を高めるような遊び方をしていました。
姪っ子もたがわず、彼女は「こわい!こわい!」と連呼しながらも、ママのアシストナビをもらいながら攻略。

コワイって言いながらも、突き進むんだね。。。不思議。
そう呟いたら、妹が「そう、挑戦していくんだよね。恐いんだけれど、前に行きたい!そういう気持が強いみたい。」
母親の見解を述べてくれました。
念のため、当事者にインタビューしてみたところ「んとね!こわかったけれどね、こっちゃんの足がするする~ってできたの!たのしかった!」とのこと。

なるほど。
前に行きたい。
その気持ちが「出来る」っていうゴールにたどり着くのだね。出来ないコワいじゃないんだ。

不安は、目的地を見失わせる。
不安よりも、目的地を見つめるならば、闇雲な恐れに足を取られないのだ。

「大胆であれ。」
って、そうかやっぱりこういうことなのだと、教えてもらいました。

やはり幼子は天国に入れるんだなぁ。
そんなことを実感した公園日和。