誰かのために生きるということ。

私の職場にいる方8割がお母さん。

デスクの前に子供の写真を貼ったり、
「お母さんありがとう」という子供の手書きのメッセージカードを貼ってあったりする。

仕事しんどいな、やめたいなと思う時、これを見て頑張るとおっしゃっていた。

誰かのために生きるということは、真実な愛なんだなと思った。

チョンミョンソク先生の姿が思い浮んできた。
自分の体が痛くても、御言葉を伝える先生。

神様の御言葉を聴くことで癒され、力を受ける人がいるから、
その神様の御言葉を届けようと、ご自分を犠牲にされても、神様の愛を教えてくださっている先生。

先生の愛と神様の愛を感じて、目の奥が熱くなりながら、仕事した。

自分を嫌いだなと思う時、それは変われるチャンス。

自分が自分こと、嫌いだ。ひどい奴だと思う時、昔はひたすら自分を痛めつける考えになるばかりだった。

今は、そういう時、御言葉を求めて、お祈りをする。
祈ってから、御言葉を読むとき、聖書を読むとき、心の痛さ・苦しさが解けるから。

御言葉で、それを裂くときに
chaosな心はなくなって、私の心に、希望と平安がくるから。

自分なんてひどい奴なんだろうかと、自分に愕然とするとき、
自分の足りなさ・失敗を見つけるのは変われるチャンス。

悪いものをわかってこそ、善いものを見出すのか
善いものをわかって、悪いものを取り除くのか。
いずれにせよ、それらの状態を表記するところ

chaos混沌=善+悪

chaos混沌-悪=善

ここでいう善とは
端的に表現するならば良心・愛・平和

混沌としている心・考えが裂かれる時に平安と平和と愛を見つけるようになる。

荒野の様な私の心に、人を思いやるという心が泉のように湧き出で、川のように流れるようにしてくださる
神様の御言葉。感謝します。

聖句
ルカによる福音書17章21節
「神の国は、実にあなた方のただ中にあるのだ」