掃除を通してこのようにこうだ。

悔い改めとは
体を洗うように必要なことだ。
悔い改めほどいいことはない。とチョン・ミョンソク先生から教えてもらった。
普段後回しにしていた掃除すべき所を着手して「ほんとだ~」と思った。

台所シンクの水垢・黒カビや洗濯機のぬめっとした水垢とヘドロっぽくなったもの・・・
直視をしたくないが綺麗にするためにはよく見ながら、必要な力を的確に加えながら、こすらないと取れない。

「洗剤」と「水」と「私の気合い」
三位一体で取れてピカピカ現状復帰。

「回復すること」についてこのようにこうだと感じる瞬間でありました。

「真理の御言葉」と「聖霊」と「求める私の心意気」。
もっと自分を磨いて作ろうと思ったのでした。

美しい生活・・・

片づけたいがどこから手を付けたらいいのかわからない~という時は、部屋をぱっと見た瞬間に目に入るところから片づける方法。
また、常にキレイにしておく方法について、負担なく、まんべんなく出来るようにするには、掃除をする箇所を曜日に決めて行なうのがいいそうだ。(たとえば、シンクの汚れは毎週水曜日、フローリングのほこり取りは月曜・水曜・金曜・日曜とか。)

それぞれ片づけ・掃除の専門家が語っていた。
片づけの方法・掃除の秘訣でポイントになることは、優先順位と取捨選択と言っていた。

つまり、自分の考えの中心・大事なものは何か?による。
部屋を片づけること・掃除することに自分の考えが、実は密接なかかわりがあるってことではないかと思った。

もしそうならば、
美しい生活・心地よい生活の判断基準とは自分の考え・価値の優先順位によるといえる。

ポイントは自分の考えの軸による
優先順位と取捨選択・・・・
つまりはどういう心・考えで生活をするか。

神様をこよなく愛する先生はどんな風に生活しているのかなとふと思い出してみた。

先生の今いらっしゃる場所はとっても狭いそうだ。
狭すぎて家具を置けないそうだ。
でも、神様を迎えて生活を共にする為に、神様が座わられる場所を作るそうだ。
一度拭くのではなく、畏れ多くも神様を迎えるので2度3度拭かれるそうだ。
そうしてこそ御子様は座ってくださるとおっしゃっていた。
その狭い場所で、見えない神様を見える人のように愛して喜ぶ心で、
真実な心でそのようにする先生。

本当に、美しい生活とは神様と共に生きることだとチョン・ミョンソク先生を思い出してそう思った。