要らないモノの実際は。

草、雑草=いらないものとほとんどの人々が思うはず。
わたしももれなく、雑草は厄介と言うイメージが強かった。

強かった。と過去形なのどうしてか?
「買っていた草(ハーブ)」が、実は「厄介とされていた草」と同一だった。と、知ったことからでした。

知らなければ、そのまま固定概念のままだけれど、知ると無知から抜け出て生活も豊かになる。

それを痛感したのですスギナで。

スギナマイナビ農業より引用

スギナは、ほうれん草と比べると【カルシウム】約150倍、【カリウム】が5倍。
総じて「ミネラルの宝庫」と言われています。

普通に庭や畑で生えているって知るまでは、私は買っていました(*_*)←アホ言われました。

スギナをどう使うか?というと・・・
手軽にお茶として煮出したり、入浴剤として使ったり。
ティンクチャーとしてエキスを抽出させ化粧水にするなどなど。

効能はこちらのサイトに素敵にまとめられています。⇒スギナ茶の淹れ方と効能

知れば「雑草」から「薬草」へ転換。

全ての存在物は、神様が愛で創造された尊いものなのだなぁとあらためて思うしかない。

しかし以前、ツイッターでスギナすごし!とつぶやいたときに「スギナは手ごわい奴で根絶できない雑草です~」というコメントをいただいたことがありました。
お茶でなく入浴剤として使ったらいいのでは?と思ったけれど、そもそも忙しい中、採るのが面倒なのかもしれない。

効能があっても、使うか使わないかはその人それぞれ。
もったいないと思ってしまう私としては、使いたくなる。
摂取に気を付けたほうがいいというほど成分が豊かというのは、薬としての効果があるゆえではないか!?

なので使ってみてさらにその効果を確かめよう!と抽出中です。

私は、確かめたくなる派なんだなぁ。
そう改めて自覚しました(笑)

そして、畑づくりのエキスパートの方が言うには「スギナを活かして土づくりができる」そうです。

一般的に、スギナがたくさん生える土地は痩せている(栄養が少ない土の状態)だそうです。
「草が生えるのはその土地に必要があって生えてくる」そういう考え方からすると
ミネラルの宝庫であるスギナは、その特徴から考えると、土の栄養を一心に集める力を持っているといえるのではないか?と。
その観点で、スギナを刈って枯らして土に戻らせることで土壌の栄養が豊かになるという方法を編み出されています。くわしくはこちら⇒畑の雑草図鑑

一つの草を取り上げてみても、万物って奥が深ーい!とワクワクしながら
神様は天地万物を、人間を愛で創造された。それを実感します。

そして、

疎まれている存在でもありながら、じつは有効・有益な存在であるこの草を見て思うのです。
人もそうだろうなと。


わたしもきっと何か良いところがあるのだ。
そういう希望も湧き出るし、また私がある人物や物事も良く知って行くことで私の誤解だったんだなと気づくこともきっとあるんだろうなと。

愛は、関心から生じる。
という一言が思い出され、深く響きます。

生きてるとけなされること、貶められることに出会うのよねだから、理想世界って何か。

小市民の中の小市民であるワタクシが幼少のころから思っている一つのこと、それは人生は生きる分だけ大変だってこと。
だから、こそ年長者さんってすげぇなと敬う心が自然と生じるものなんですが、なんだろう・・・
貶められること、けなされることも比例するのを実感するとき、なんで生まれてきちゃったんだろうなと自問自答。

むかしは女性であるということがマイナスだった。そして、今は年を取っているということでマイナス扱いされる。
マイナスにする人がいるとしても、自分がマイナスだと思わなければ、問題なし。
と思えるようになったのは、聖書を通してイエス様の伝えたかったこと、神様の愛を知るようになってから。

最近は女性であることを悪くないと思えるけれど、ちょっと年が近いお姉さんから「もう若くないおばさん」と評されることが今年多いのは、何が理由なのか、そして「おばさん」はどうして悪いのか?なぜその発言がでてくるのか?いろいろ考察が深まる今は秋。

そもそも私が自分に価値がないと突きつけられたファーストインパクトは祖母だった。
「女だから駄目だ」
祖母も女性なのに。
これは私よりもお姉さんからおばさん認定を受けるのと同じ構造な気がする。

祖母は待望の男児として誕生するはずだったそうで、男のような名前を付けられた。
それだけではないと思うけれど、嫌な思いをしたらそれをコピーして自ら行なうようで
一度目の結婚のときに受けたこと、二度目の結婚で受けたときの姑からのいびりをグレードあげて母にしていた。
そう。つまりは「傷」があるからそういうことをしていたのだ。

女性であることも、年を取ることも、ほんとは何も悪くない。
なのに、悪くて、劣っていて、醜いものだとするのはどこから来るんだろうか?

それは、そういう体験をして脳にその考えが入ってしまったからだ。
考えの選択を間違ったら本当にヤバイ。

本当に善い生き方って年を取るごとにできるもの。
それを見せてくれるし、教えてくれる存在が欲しかった。
喉の奥から手が出てくるっていうレベルで。

だからそういう存在に会えたら、絶対に離したくないわけで
誹謗中傷、変な噂が例年のごとくチョンミョンソク牧師にあるとしても
私以上にけなされてきて、私以上に苦痛と悲しみが多かったその人生なのに
恨むより、憎むより
「理想世界って雨の中でもやるべきことをやるってことだよ。」
って言いながらスマフォのライトを点けながら作業をするような人だから。

安穏な後ろ向きに、暗いこと言って、愚痴るような生き方じゃなくて
むしろ、しんどくて大変だけれど挑戦と感謝をし続ける生き方をしている人だから。

明るいと言えない現実をちょいちょいみちゃうとしてもさ、
理想世界ってやつを作ってみようじゃん、私の人生で。
と、そう思うのだ。