身につまされる「親を愛する」ってことは。

最近、教会に通うようになってからどんな変化があったのか?神様の愛を知ってから若者にどのような変化があったのか赤裸々な話を聴かせてもらえる機会がありました。

過干渉気味なお母さんが大嫌いだったそうです。彼女などいないのに「女が出来たのでは?」と勘繰られたり、いつも学校の成績のことしか話題に上がらない。そういう中で心が閉じるしかなく、数年まったく会話もしない日々のなかである時、「これは御言葉(神様の愛と真理)に反している」と朝祈っている時に気づいたそうです。神様のことを愛しているように、神様が作られた親も愛さなければそれは神様の願う愛を成していないと。

が、しかしどうしたらいいのか分からず・・・
「愛せないです。どうしたらよいのでしょう。」と祈り願い求めたそうです。

そこで、簡単な当たり前な挨拶からスタートし、自分の学校やバイト先の話しなどするようになってゆき、いつしか大学の卒業旅行へ一緒に行こうという計画を立てるほど関係性が回復したそうです。
その過程で、いかに自分のことを大切に産み育ててくれているのか、その偉大な愛を悟ったと語っていました。

思わず目頭が熱くなり、もらい泣きはほとんどしないわたしももらうはめに。

父親と約2年間話さなかった時期からどのようにして冗談を言えるくらいまでになったのか、そのさまざまなことが思い返されました。

まだまだ最近もお互いの削らなければならない部分で朝っぱらから怒鳴りあうこともありますが、それでも前よりはちゃんとキャッチボールできるようになってきました。(以前はデッドボールの応酬のみ)

悲喜こもごも、喜怒哀楽。
主の愛と精神は人生の悲しみと辛さ、行き場のない澱のようなものを堆肥に換えてくれる。
いかに人生を豊かにしてくれているのかを、しみじみとかみしめてともに感謝に溢れる時間となりました。

 

年の瀬のさなか、ヤバイ人生が楽しい。

ふと思ったのでした。

「やばいあっという間に、一年が終わってしまう・・・」と思っていた昔と比べるとヤバイくらい面白くて楽しい!と。

世の中の基準で見たら親が心配するであろうおひとり様の老後を迎えるであろう私。
ボーナスももらったこともないような働き方で、両親も心配するし教会の先輩方や指導者さんからは正社員になればいいのにと言い放たれることしばしばありながら、いまに至っていますが・・・どうしてこんなに面白いのか。

真理を、愛をどのように実践したらより生活が人生がどのくらい面白くなるか検証した結果を見せなければ!という観点で仕事を探したり創出しようとしているからだと思いました。

そんな中、改めて自分の変化をはっきりと感じる出来事がありました。

地域問題をどのように改善解決しようか?と対話式のワークショップに参加したのですが

「あなたが困難にあったとき、どのようにして乗り越え克服しますか?」と言う問いと
「あなたが人生の中での成功体験は何ですか?」という問いがありました。

それに対して私の答えは・・・・
⇒実践しながら答えを見せて教えてくれる恩師がいるから乗り越えられるし、そういう存在がいるってことが人生の成功をしていると痛感します。

昔は生きることが大変で、恐くて、辛かったから絶望的な感じでしたが
今はどうしたら自分も周りもしあわせに出来るだろうか?そんな風に思えるようになれたのは
そう考えるだけの変化があったのは、
チョンミョンソク牧師の存在が大きい。そう心の底からはっきりと言えるなぁと思いました。

暗ーく辛かったことが完全に昔になったよって認めるのは家族だけじゃもったいない。
教えてもらったことを社会に発信するような活動をなんらかしよう~と去年から細々と必要な情報を集めつつ、出来ることから体当たりではじめました。

言葉より実践だ。

いつも仰っている実践哲学。

さまざまな場所で、いろんな人と出会ってお話を聞かせていただいたり、自分がどういう生き方をしようとしているのかを話したりすると
「ほんとに神様は必要があって出会わせて下さるんだ」と思いました。

私の中にもっと神様の愛と真理が根付くように実践しようとする中で、たしかな全知全能な神様の御働きがあるを再認識しつつ、チョンミョンソク牧師を通してリアルに天が私に働きかけて下さるのを感じる2019年でした。

「神様の言葉は絶対に成される」

その信仰で、イエス様の衣に触れて病が治った女の人のように、
この方を通して神様が仰っているならば、そのとおりに行なってみるならば、死ぬことばかり考えてしまう自分が人生を生きることが楽しくてしょうがなくなるなんじゃないか。そんなことが起こるならば・・・・この人に学んで、行なってみよう。
そう思えるように感動感化を与えて下さった聖霊様に一生、永遠に感謝します!と思う大晦日。
終りと始まりの交差をいとおしく思います。