赦すことは自分にはできない。

コロナ対応における母との確執は、まだ続いてます。

なにより今回において傷ついたのは「嘘をつかれたこと」が大きかったのですが、

しかし、その嘘はじつは誤解であり、父が私に誤った情報を伝えたことによると最近、解けました。

誤解が解けるまでは
「赦せない」という感情との闘いでした。

「赦せない」感情があると、平和がなせず・・・・その時、どうしたか?というと

聖書にある「赦しなさい」というイエス様が赦し合い、愛し合いなさいと説いてくださったあの箇所を思い起こさせてもらい、、、

主日礼拝でおっしゃった「御言葉の権勢と御力」を通して、
そう信じること受け入れることだけが自分の責任分担だ~と考えシフトされて「赦せない」という手放すことが至難だった「私の考え」を飛ばすことが出来ました。

神様の御言葉(教え)は絶対的に愛。
成されるかどうかは自分にかかっている。。。
そう、自分の信仰と真実さがほんとに試される。
改めてそのように思いました。

教会に通う前は、負の感情に太刀打ちできず、絶望しかなかったのですが
実際に行ないながら平和と愛について説いてくださる方を通して神様は
癒してくださりながらより善いほうへ導いてくださるので、
その天の愛に深く感謝捧げて明日の礼拝を待ち望みます。

だって、伝えるその方はわたし以上に悲しみとか、怒り、憎しみとかそういった手に負えないような感情を経験されているうえでイエス様と神様の愛をリアルに伝えてくださるから
希望と期待そのものなのです。

対話しようにもむずかしいけれども、母の日です。

コロナの件で家庭内ソーシャルディスタンスを取っている最中ゆえに
自然発生的に座敷童もとい、子供部屋おばさん(最近こういう名称があると知ったので使ってみました。)の進化系?孤食生活をしております。(がもとより、掃除洗濯も自分の分をやっているのでほぼルームシェア的生活)

もともと食事も普通に作っていましたがすべての時間を一人で食べるって山梨に帰って来てからなかったなそういえば。と、唐突に始まった新しい習慣?!もしかするとこのままずっと続くかもしれないくらい、自分のタイミングで食事するって楽!が7割、ほんのり寂しい2割、母の手料理ってやっぱ😋すごいな。恋しいぜ!が1割。

さて、5/8は韓国は国上げての「父母の日」(両親に感謝と愛を伝える日)のため、やはりチョンミョンソク総会長牧師先生は
この日にちなんで地上の親、天上の親について、大切にし敬い仕えることについて、ご自身の体験を通して説いてくださったのですが、こんな状況のワタクシ故にまことに沁みいりました。。。🐜

「親も子もお互いのことがわかったらすごく喜びます。しかし、思想・考えが違う。
時には、違うことを心が違うことを主張することがありますがそれが親の立場、子供の立場あるからです。」

ホンマにそれ。。。
母を否定したいわけではなく、それってどうなの?と問いかけているのに、突っぱねられているので・・・もう心も距離が自然とできてしまっているのですが、

「子供として親の立場に努力して合わせていく。まだ親がわかっていないときは要領よくやっていかなければなりません。
親と子供のことも研究すること。どのようにして合わせるべきか。」

マジかー研究かぁー😫
合わせるなんて考えてもいなかったので、これは研究しがいがありそうです!
しかし、正直なところ・・・やろう!という気持ちが起きないな~と思っていたところ・・・
チョンミョンソク総会長牧師先生のご自身のお話にとどめ⚡を刺されました。。。

「うちの母も、あなた私の心をかき回してしまう。と言われました。
そのように計画をしたわけではないので、そんな風に言うのか?と思いましたが親の立場では愛しているからひどく傷つくのです。親の心も研究をすればわかります。親の気持ちを研究すればわかります。

親が死んでから、生前よくしてあげられなかった
そんなことを言わないように、全部やるべきことやったといえるくらいにしなければならない。
あれが出来なかった、ということがあってはいけません。親に上手く仕えられなかった人が言うことです。
他の兄弟より喧嘩も口論もしましたほかの兄弟よりもいつもよく仕えて差し上げました。
神様という親にもそのようにして生きるべきだということです。
数十万回ぶつかっても神様は笑顔で接してくださり続けました。
親がいるということは幸せなことです。なくなっても親がいたことが幸せなことです。
一緒に仕えてお供して生きることが幸せなことだ。
親がいてもいなくても、変わることなく仕えて生きればいいのです。
親が肉が死んでも霊がいるから。
いつも仕えてあげて祈って生きていけばいいのです。
天でもどこに行ってもいつも祈ってあげることだ。
それが、ものすごい影響力があります。生きているときも同じです。

 父母の日に子供たちに一つ言いたいことがあります。親は年を取ると子供になります。
幼子になる。どうしてか?体も力も、考えも弱くなって頼ろうとします。
子供に頼るようになります。
だから、年を取った親には大きいことも小さいこともしなければなりません。
先生もしてあげました全部。どこどこ行っていたなど、一日中何をしたかを話してあげました。(以下、略)」(個人的な記録なので正確性は欠けていることご了承ください)

チョンミョンソク牧師先生は毎度こういう家族行事の際に、家族愛とは。。。を説いてくださるのですが、

そのたびにじーんとします。

そして今回は特に、「だれか」にでなく、「私」に神様が先生を通して語られていらっしゃるようなかんじがし
遠くはない未来のことまで考えて、後悔なく生きなければと改めて気が引き締まりました。

ひとまずは、、、、
母の日をよい機会としてつかんで
研究を重ねようと思います。