やらないより、やってみるその味。

たぶん、昔の私なら思ったとしても

実行はしない。

実行するのが難しい理由をあげ連ねて、

実行しないにとどまる。

しかし、人は良くも悪くも変わる。

とはよく言ったもので、実行して確認するようになってきてるのです。

その一つをご紹介すると…

子どもの貧困について、新聞やネットニュースなどで目にして胸が潰されるような思いがしていた昨今。

きっと、チョンミョンソク牧師ならなんかするだろうなあ。。。自分の交通費全部渡して助けたエピソードを思い出したりしつつ、さて私は何ができるだろうか?と思案し天に尋ねて思い浮かんだこと。

野菜をお裾分けしよう!と。

様々な理由から支援を必要としてる方々に寄り添う活動をされてる非営利団体の方を通してお届けすることをしてみました。

施すというよりは、ほんとお裾分け。

美味しいを共有できるってなんだか嬉しいものです。美味しいものを食べて元気が湧いてくる感覚は神様からのgiftだなあと。

ちょっとした一歩。

やらないよりは、やってみるほうが見えないけれども自分のなかに財産になるような確かなものを感じました。

天が下さった恵みを届ける役割を少し成せたかな?と自問自答に自分のぬるい信仰心レベルだとまあこんな感じだよねと恥ずかしさ否めませんが生活のなかで神様の愛とは?を考えるたけでなく、実行してみるその味をしめたので今後いっそう何かしらやってみようと思っております。

 

 

 

 

地に足ついていない。と、そう思ったでしょ。

神様を信じているとか、教会に通っているというと、目の敵のように接されることが過去何度かありました。
面倒なので、隠れキリシタンになったほうが生きやすいってことかしらん。と思ったこと遠い日、思い出します。

むしろ、信仰ってめっちゃ現実と向き合ってこそ、なんぼだな。とこのコロナで右往左往する事態になって改めて思います。

政府が集会、イベントを自粛するよう呼びかけする前から一足早く教会閉鎖されるようになり、自分と家族と日本と世界のことをいろいろ省みる日々の中、私の人生、後悔なく誰かのためになるような生き方ってどう生きればいいのかな?と思うに至りました。

そんなわけで、昨年からじわじわ知り始めた地域社会課題を自分の生活に結び付けて関わっていこうと始めてます。

家族にたいして、恨むと憎しみをなくすことが出来なくて、自死することが一番平安なんじゃないか?とまで考えていたことがある罰当たりなわたしが、そんなこと考えて行動してみようとしているなんて20代の私が知ったら驚愕だなきっと。

祈りは大事だけれど、祈りだけではなくって、行うこと。
行うことも大事だけれど、自分の考えではなくて、天の考えに合わせて行うこと。

その体現を見せながら教えてくれるチョンミョンソク牧師が聖書を読んでねと何度も言いながら
教えてくれたこと。
それが昔からの言い伝えのようなお話でもなく、気休めのような癒しでもなく、私の中にある自分をダメにする腐った考えを取り除きながら、全部を抱きしめてくれるような治療であり、前に進めるようにいつも背中を支えるように押してくれました。

変わりたくても、変われない私がもし変化できるならば、この地域も日本も変化できるはず。
と、山梨から東京に通うなか何度も思いました。それが久しくなって、普通になってもうやばい年数になったなぁ数えるの怖いなとひしひし思い始めたその矢先、コロナで通えなくなった今、じゃこれを機に行動で実習しなきゃねと言われている気がします。

ほんと小人の私らしく、小さな実習ですがチョンミョンソク牧師が教えてくださったこと。
それを私が行えるのかな?と正直のところ半信半疑ですが、自分の身に起こった現在進行形の奇跡を考えると、なにもしないのは死んでるのと同じだ。という聖書の言葉が襲いかかってくるのと同時に

天地万物創造し、主管できる神様のすごさを驚き仰ぎ見る心意気でやりなさい。と、チョンミョンソク牧師に横で言われる気がしながら

春風に吹かれる如月の候。