就職氷河期のヤバイ私が、コロナ渦で更にしぶとく前向きに生きるその実録。

いやはや、思った以上に職に就くのは難しく予想通りいや、それ以上に書類落ちの嵐。。。
閉鎖的な田舎では派遣社員として首の皮つなげてきたことの意味合いも汲まれることはなく、むしろ「何でこんな不利な。というか自分の首を絞めるような有様に?」と面接で言われる始末。

教会の指導者といわれる人からもマリーアントワネット的「パンがないならばお菓子を食べればよろしいのに」という発言よろしく、「正社員になればいいのに」と言われたこと多々あるので、信仰がある無し関わらず、自分と異なる境遇にいる人のことを想像すること、相手の心情を考えることというのは、やはりまったくもって難しいことなのだと、冷静に納得。

ただでさえ、就職氷河期世代なのに。さらに学歴もなく、職歴もたいしたことないといわれるレベルだと、そりゃ不採用なのです。私が雇用主だったら、確かに雇わないだろうなと思います。なので、生きていくために採用される可能性として短期の派遣社員になるしかなかったり、パート職員で首の皮つなげたり、という荒業が続くしかなく。新聞で書かれている「貧困に陥ると抜け出せない」まさにそのループ!を身をもって実感して久しいです。

誰も助けてくれません、誰も、理解してくれません。
むしろ、お前馬鹿じゃね?みたいな言われようなので、少し前まではフツーに憤ってました。
もっと前は、もうだめだ。と、絶望と自暴自棄に至っていました。

今はどうか?というと、教会でも世の中でも、愚か者扱いされても、自暴自棄しません。

どうしてか?

6千年間前から今のこの時まで、続いている聖書に書かれていることが、自分の生活に希望と力をくれるのを確かめられたから。

それは、実践したうえで説いてくれる存在に会えたから。

お先真っ暗過ぎると思うような心境になるとしても、
人生の問題を真実にというか、命を懸けて神様を信じて、
その愛で乗り越えて解決している。
その方のエピソードや精神をもとに、自分もその都度その状況で新しくなる挑戦をして変化して今に至っているので。
私は今日も希望と感謝で一日を終えられます。

傷つけられるくらいならば誰も信じたくないし何もしたくない。
そもそも、生きている意味が分からない。
世の中でだまされること、就業先でいいように利用されて使い捨てなこと、対岸の火事のようなやりとりで見下されること。たくさん、恨んでも仕方ないことなんか日常の中、それでもその場で経験積ませてもらったこと。そこに行かないと知ることが出来なかったこと。
それは、絶対に無駄ではなかった。

人を恨むより、憎むより、不条理に憤りすぎて具合悪くなるよりも、むしろひたすら感謝な部分を見つけていくと、そんな世の中でもより社会がよくなるように努力して生きる素敵な生き方している人たちの考えや動きに気づいて刺激を受けるし、どうしたら酷い目に遭わないか?の知恵と知識を身に着けるようになる。よりよく生きることをあきらめない心は神様が助けようとしてくれるチャンスをつかめる。何より誰かの痛みを知ることが出来るようになったこと、それは大きな財産だと思います。

無感覚に、傷つけることや、意図せず見下し、意図してマウントとるよりはずっといい。
そう思えます。
いつ死んだっていいならば、後世にほんのすこしでもプラスになる一端を担えるよう、考えて行動しよう。
そんな考えることもなかった考えを、志と希望とを抱けるようになりました。
まさに、天の御働きだと思います。

もし、こういう私を哀れだと思う人がいるとしても、笑って処することが出来るくらいになれました。
私がどれだけ変わるか、それだけしかない。
ただ死ぬときに後悔がない自分に作ろう。

こういう私を正面から否定し、馬鹿にするのもその人の自由ですが、
それは今日死んだとしても誰にも迷惑かからない、ゆえにいつ死んでもいいような私に「死ね」というトリガーを引くってこと
それをどうか、覚えてほしいと心から思います。

その意、その覚悟がもしなければ、控えていただくとありがたいです。事実を知らずに糾弾する行為は、その正義感と裏腹に当事者への非情な名誉棄損であるということをご理解していただくべく、笑顔で淡々と半日くらいお話し差し上げるくらいの意気込み、わたくしございます。

どれくらいより良く生きることが出来るか?の挑戦。
どう生きるか、選択できる面白楽しさ。
というわけで、どうであれ年を取るのも悪くない。
ひとまず、若い人に変な説教たれる輩にならぬよう自戒しつつ
新芽ほころぶ春の日に思います。

労基法違反の職場にどのように対処したかっていう話。

私はいわゆる就職氷河期世代である。

就職氷河期あるあるな派遣社員としての就業が多く、すぐに就業が決まるからという理由から
短期就業を繰り返すしかない(リーマンショックや東日本大震災や今回のコロナなど時代背景しかり)ということで
職務経歴書にはやたらと「契約期間満了」という単語がならぶ。
ゆえに、ハローワークなどで直接雇用の求人応募をすると大体この職歴で書類落ちになるしかない。
ゆえに、さらに派遣社員として働くという抜けられないループにドはまり中。
なのだが、それでも自分をほめてやりたいと最近思うようになった。

私は一度も、契約期間途中で退社したことがなかったから。
そう、なかった。と過去形のなのは私史上初、契約破棄をした。それも、つい最近。

「労基法違反は仕方ない」ということで改善の考えがまったくない現場責任者をはじめ、4名体制のところ産休の方がいらっしゃり3名体制でするということだが、これが無理がありまくる上に、教えてくれる人もマニュアルなども皆無。
心身が疲弊すること請け合いの極めつけが忙しいときはお昼休憩が取れないという、労基法違反。

もちろん、派遣会社の担当者に報告、相談をした。
が、しょせん他人。しょせん使い捨てな派遣社員の身の上ゆえに「もし辞めるとしても次の方が決まってからで」といわれる。
え?私が入る時に、なんで来月2名一気に辞めるって教えてくれなかったの?
諸々のルール違反の中で何をどうすべきか?を天に求めた。

法とは命を守るものである。
以前、法についてチョンミョンソク牧師が聖書、神様の御言葉について説いてくれた時のことを思い出す。

たしかに、労働基準法に定められている内容は労働者の権利。
その権利を奪われるような日常に、私は何を得られるのだろうか。

だれも助けてくれない。
守ってくれるのは労基法と労働条件通知書だけじゃん私って。
なのに、今は派遣先の横暴さにより、その二つを踏みにじられている。。。

でも、ここでやめたらもうこの派遣会社からは永久追放だろう。
そして、仕事がすぐに決まるとは限らない。
さらに今はコロナの影響もあり求人数も芳しくない。。。

そういったことを加味してどう判断するか?

昔だったら、ひたすら我慢して、心身具合悪くなるとしても、その場にいたと思う。
もしくは、現場に派遣会社に憤りで喧嘩していたと思う。
でも、今は違う。
選択できることを知ったから。
どうすることもできないことに腹を立てても仕方がないと分かったから。

少しでもはやく仕事が決まるようにもがこう。
法を守れない場所に縛り付けられながら心身消耗していくよりはずっといい。
今まで、もう無理かも。
不安と恐れを感じながらも首の皮一枚で仕事をもらってきた。
それはいつも天の計らい、御働き、愛を感じてきた。
出来ない難しいと思った仕事も、出来るようになるまでの過程の中で、やれば出来るという心が培われ体得してきた。

人に誇れるほどのものは全くないが、私は20年前の私より、自分のことが好きだと思える。
チョンミョンソク牧師が見せながら教えてくれた「いつも感謝しなさい」
そうその心でやっていけば
なんでもできる。

無理な場所で感謝を無理矢理するのではなくて、
私の権利を守れる場所で感謝しながら働くことを選んで後にしたのだった。