哀れまれるようでいて後悔ないよう生きてます。

コロナワクチン接種行ってきました~
副反応におびえつつのは毎度(インフルとか)のことなのですがコロナワクチンはいろいろなクチコミ、ニュースなどを耳にしている分、正直、、、打つのは、かなり躊躇しながらでした。。。

免疫力を高めるほうがずっといいよっていう話を聞くと、そうだよねぇ。。。私もそっちのほうがいいよなぁと思うほうですが、しかし打ってきました。総会長牧師のチョンミョンソク牧師も打ったよって言っていたし、ワクチン打たなくてコロナかかったよね?とか言われるよりはいいかなと。

未来が長い子どもたちには、このワクチンの有効性とリスクを考えると懸念が拭えないという話を聴いて、家族(伴侶とか子供)いるとほんとにいろいろ大変だろうなぁとコロナ禍でさまざま思う。。。

私の現状、危惧することは、もし孤独死したら気づかれなくて第一発見者とか特殊清掃の人とかに迷惑かけるというか大変な思いさせるんじゃと言う点。

それに気づいてから最近、「ここにいるからもし、連絡取れなくなったら来てね」と、一人暮らしの我が部屋をひとまず母に案内しました笑(というか、普段からそんなに家族のやり取りもないので、もしもの時はだいぶ日がたっていそう)

可哀そうな中年女の独り言と思われるかもですが、子供がいてもいなくても、結婚してもしていなくても結局、いつか人は死ぬので。なんで生きるのか?何のための人生なのか??それを10代のときから知りたくていた自分としては、分かって生きることができることに十分に満たされて、(やせ我慢してるんじゃね?と思われるかもですが)致し方ない非正規雇用で心配されつつも日々穏やかに生きています。

最近、父から「それでも誰かに支えてもらうような生き方をお前も」みたいなことを(晴天の霹靂でしたマジで)LINEで送られてきたのですが両親の様子を見ていると、大変そうで、、、誰かといてもむしろ心が通わない寂しさと悲しさを味わうのならば、一人のほうがずっと幸せではと思うのだ。と昔から思っていたことを父に返信しました。

そう、私は家族と一緒に過ごして楽しいと思えることよりその逆のことのほうが多かった。
でも、同じ家族(条件)でも自分はこういう家族にはしないと結婚をする妹もいる。まさに人生いろいろ。

人生の意味が分からなければ、生きるのが虚しく苦しかった私。けれども、妹はそれを知らなくても自分の理想を目指すことそれが生きる意味だったんだろうなと。まさに判断と選択は人それぞれ。

しかし、ひとしくみんな、いつか死ぬから。

そのときを考えたときに、後悔も未練もなく感謝しながらしめくくる人生ならば最高だと私は思う。それゆえ日々省みて、そうなるよう生きる。だから、幸せだなあとおもう。

たぶん、チョンミョンソク牧師から聖書と神様について教えてもらえなければ、こんな穏やかに年とれなかった。いつまでも癒やされない考えの病と自分のいびつさに押しつぶされ発狂しそうになりながらひどい有様で死線さまよったであろうこと明白。

さて次回の2回目のコロナワクチン接種のほうが副反応が重い場合が多いと聞いているのでもしも万が一のこともあるかもしれないと思い。。。気が引き締まります。

軍歌と平和とオリンピック。

8月になると、祖父がよく軍歌を歌いながら涙目になっていたのを思いだす。

その涙は、憂いというよりは当時に戻っている感じのものだった。

祖父は事故や病気で何度か脳の手術をしたので障碍者手帳を持っていた。
感情、言動にちょっと個性というか特徴があった。

時々、年相応の年配者のようになるが、子供じみた冗談が多くてどこからが本当でどこからが冗談なのか区別がつかないそんな面白い人だった。

そんな祖父が「ここはお国から何百里~」と軍歌を歌いながら「曹長殿~」と涙する寸劇が始まり、B29がとかいろいろ
当時のことを語りだすあの夏の日が懐かしい。

私が小学生だった時は、夏休みには必ず戦争映画、ドラマが放映されていて、というか大体夏休み入る前には「火垂るの墓」を学校で鑑賞する時間があって戦争について考えさせるときだった。
それに輪をかけるように祖父の演劇的回想は、私に生々しい何かに触れさせる感じがしたものだった。

「あんくれぇのとき、だったな。満州に行ったのは。」と高校球児たちの試合終了の涙と一緒に涙を流す祖父の姿。
校歌斉唱と一緒に軍歌を歌いながら、当時見たものについてとつとつと語る。

祖父は、大正生まれにしては体格が良く、170センチ以上あり健康優良児という太鼓判を押されて陸軍に配属されたそうだ。
戦争に行く前は相撲大会で優勝をした写真があり、額に入れて飾ってあった。
兵隊になったら大砲を担いでかなりの距離を歩いたと言っていた。
戦争で死ぬのは、兵士だけじゃなくて、子供や女のひと、おばあさん、おじいさん、民間人もだ。たくさん、目を覆いたくなる思い出したくないキオクは多く語らずにいた。

もし、戦争がなかったなら、
野球や相撲で、隣国交流出来たかもしれない。

笑いあって、美味しいごはんを一緒に食べて、青い空の下で汗をかきながら入道雲を見上げながら、スイカを食べる夏の暑さも心地よいそんな日を過ごせたかもしれない。

「もうあんな思いはしたくない。」

いつも戦争のことを思い出した後に、その一言をつぶやく姿。

戦争がどれだけむごく恐ろしいものなのか、記憶の傷をなぞる祖父の姿と平和だからこそできるオリンピック競技の中継を見ながら思い出した。

祖父のその一言には、同じような思いを味わせたくない。そういう思いも感じた。

おじいちゃん、大丈夫だよ。

戦場で敵を愛して誰も殺さずに生還してきたチョンミョンソク牧師から愛って平和ってどうやって培っていくのか、成していくのかそれを学べるから。
自分の生活の中で出会う様々な場面で最善を尽くすことが出来るから。

なかなかむずかしいとしても、平和と愛を成すことを選択できるよ。
そうできるように、日々もがいているけれどね。
私だけのメダルを目指して人生を生きてみているよ。