人生と年の暮れの交差で考えること。

毎年、大晦日になると思う。1年って長いようであっという間というか、過ぎ去った日々を終わりで考える。

以前、チョンミョンソク牧師から「人生を1日に例えると10代は午前中、15時までは20~30代だ」と聞いたことがある。

たしか、60代、70代が日が落ちる間際だと話されていたと思う。ならば、私は15時以降、16~17時であろう40代、50代枠。

15時までの30代が華だよと言われるのが世で聞く常。でも、もともと華っぽくもなかった私はむしろ、どうしたらいい?と手持ちぶさたな感じがした20代。そんな私をみて先輩方は「もったいない」言われたものだった。

今年40になったが、むしろ今が楽しめる。

若いときは誰かといつも比べて焦ったり、悲しんでいた気がする。

どこで変化しただろうかと振り返ってみると、年を重ねるということは自分の経験が増えつつ、色んな人に出会うということ。
そうすると自分が傷ついたこと、それも誰かの痛みを知ることであったり、なにか不得意なことがあっても、それをどう捉えるかによる。 たんに落胆するよりは工夫し乗り越えることに挑戦するか。プラスの方向で考えることで結果が変わることがあったりする。そう、若いときはやたらと気にやんでいたことさえも、向き合ってみるならば生きることの彩りになるような堆肥のようなことだと気づくようになった。

しかし、そうなれたのはそういう考え方を教えてもらったことによる。
誰かを恨むこと、羨むことは簡単だ。でも、どうしたらそうならないようにできるのか?を教えてくれるところ、そんな存在は、なかなかいないはず。

なかなかいない存在に出会えた貴重さを当時も感じたが、年数重ねるほど貴重さがますってこれ素敵じゃない?と嬉しい自答できるってほんと感謝。

 

 

セイタカアワダチソウの濡れ衣から学べることが意外にある話。

秋が始まり、朝と昼の寒暖差も野の草のメンツも明らかに秋を感じる頃に
セイタカアワダチソウの鮮やかな黄色がちらほら見えるようになります。

この草は秋の花粉症を引き起こすと思われているのですが、まったくの無実なのです。

実際は
薬効が結構あり、入浴剤(単にお風呂に入れるだけ)として使うこともできる。(お湯が泡立つのでそこからアワダチソウという名前になったそうな)アメリカ大陸から来た強い外来種草です。
この話は、セイタカアワダチソウの花粉は蜜源になるのでは?と採取テストをされた養蜂家さんから蜜の試食をさせてもらいながら伺いました。

濡れ衣の原因は、ネットサイトでセイタカアワダチソウ写真が誤って別の花と逆に掲載されたそれが発端だったそうです。
また、実際セイタカアワダチソウを見た感じのインパクトからさも、くしゃみの原因になりそうという印象を与えてしまうのも一つあるそう。

そんなセイタカアワダチソウから採取された蜜は香りもクセがなく苦みなどもなく意外に食べやすい甘いハチミツでした。
あるハチミツ紹介のサイトではクセがあるという情報が載っていましたが、やはり、無料の情報というのは絶対ではない事もあると再実感。(とくに蜜の採取は、さまざまな条件によって味や香りも変わるそう)

農家さんの高齢化と農業での生計を立てるのが難しい日本の現状から、休耕地や耕作放棄地が年々ますます増えていますが、そういった場所を生かして資産、糧に替えていけるかもしれない一つの方法では?と養蜂家さんは話していました。

たしかに、セイタカアワダチソウは手入れしなくても勝手に雄々しく豊かに茂ってくれるのをよく見るので、可能性はあるなと思いました。

無駄で厄介とされているものが実は有益(健康にも副収入にもなる可能性がある)というこの事実。

世間の話を鵜呑みにしないで、自分で考えて判断することで無から有が生まれる。ちょっと確かめるだけで180度激変する面白さを感じました。

まとめると。。。。
・ネットの情報はやはり全部が正しいとは言えない。
・確認をすると自分の思っていたこととは真逆のことがある。
・損をしないには確かめること。

思い込みで生きると損をする。人生の教訓にもなるセイタカアワダチソウのぬれぎぬでした。