摂理ってあやしい団体?と思う時に判断の基準にしたこと3つ。

疑い深い私が摂理でバイブルスタディを学ぶ時に、この団体大丈夫か?と心配・不安に思わないわけがなかった。
一体どうして聴き進めたのか?その理由3つ・・・・

①我が人生の中で一番、人間不信がひどい時期だった当時、人としてありえないほどやり取りしづらい私に対して信仰をもとにアガペの愛で接してくれたこと。
当時、私自分でカウンセリングやら心療内科系の本をいろいろ読んだり、様々どうしたらマシな状態にになるのか模索してはいましたが、そもそも自分含めて人間などいないほうがいいんじゃないかと極論思うくらいだったので(←危険思想)
無害そうでいて、有害な人でした。今はどれだけ無害化されたのか怪しい所がまだありますけれど、だいぶ癒されました。
また、メンバーたちが私に対して、よくも悪くも建前ない接し方してくれたのが怪しくないと思いました。
やたらと褒めるとか、なんか気持ち悪いじゃないですか?そういうのがなかったんです。
ダサイとかはっきり言われたりしました(笑)

②この団体なんという団体名ですか?と訊いた時に、即答で答えてくれたから。
隠したり、変に話をはぐらかしたり、おどおどしたらあやしい団体だと判断し、もう話を聞くのはやめようと固く決心していました。イエス様の御名で祈った上で尋ねてみましたところ、さらっと返答があり、よし大丈夫そうだと思いました。神様にけっこう、具体的に祈りつつ訊いたので、かなりスッキリしました。(←ミッション系の学校に8年いたので、創造主神様に祈る事は一応知ってはいたので、自分自身も信じられないから、神様に運命委ねますといろいろと祈っていたのでした。)

③日本古事記よりも古くて長い歴史かつ、
世界で2000言語以上に翻訳されている聖書を無理矢理な解釈をしていなかったから。
無理矢理信じろとか脅すようなこというならば即聴くことやめようと思っていました。
そして、悪い宗教団体によくありがちな、金銭の提示もなかったからです。
むしろ山梨から通っているからと言って、ご飯おごってくれたり、常にもてなしてくれて、
本当にお世話になっているからと言って、親が新米が収穫できたら教会の方に送っていました。

というわけで、超個人的な基準なので、あまり参考にならないと思いますが
色々あったことをかなりギュッと集約してみました。

 「ハンバーグが餃子になったって、別にいいんじゃないか?」>注文をまちがえる料理店から学ぶこと。

ホールで働くスタッフ全員が認知症という「注文をまちがえる料理店」

プレオープンではお客さん3人に2人には何らかの間違いをしたけれども、9割以上が「また来たい」という好評価。

その魅力はなにか?という記事を読みました。

「「注文をまちがえる料理店」、9月実現へ 間違えても笑顔が絶えない魅力とは 一般向け営業めざし資金募集」

「注文をまちがえる料理店」は、テレビ局ディレクターの小国士朗さんが発起人であり、
認知症介護の第一人者である和田行男さんが実行委員長として実施する企画とのこと。
5年前、小国さんが和田さんを取材するために訪れていたグループホームでその日、認知症の入所者にハンバーグを作ってもらう予定が、食卓に並んだのは餃子だった出来事がきっかけだそうです。

「あれ、今日はハンバーグでしたよね?」。そう言いかけた小国さんの脳裏に、こんな思いがよぎった。
「ハンバーグが餃子になったって、別にいいんじゃないか?」
「誰も困らないんじゃないか?」
「おいしければなんだっていいんじゃないか?」
間違いを指摘することによって、料理を作ったおじいちゃんおばあちゃんたちが築いている「当たり前」の暮らしが台無しになる気がしたという小国さん。その時、「こうじゃなきゃいけない」という固定観念にとらわれていた自分に気が付き「注文をまちがえる料理店」というコンセプトが浮かんだ。

with NEWS「「注文をまちがえる料理店」一般にも! 間違えても笑顔絶えない空間」

 

相手のことを思いやって
ま、いいか。
と思う事。
そのあたたかさに癒されました。

高齢化社会における社会課題が明るくあたたかく、問題が問題でなくなる企画です。

間違えるということが前提にあると、どう間違えるのだろうか?
とドキドキしながら楽しめてしまうだろうと思います。
そして、間違えても怒られないとおっしゃった認知症の方の感想が心に響きます。

間違えたくて間違えるんじゃない。
でも、それに対してどうとらえるのか。
ちょっと、新しい感覚を教えてもらいました。

神様の前で私はたくさん間違っているのに、寛容じゃないな~と自分を見てこれは天の前でよろしくないと思っていたのですが、神様がこの企画を通して教えて下さった感じがします。

社会問題について考えるヒントにもなりました!感謝。