どうして英語をおもむろに勉強したくなったのか。

三十路も半ばな私がどうして英語を再度勉強したくなったのか??

仕事?
いいえ。

遊び?
ちょっとちがうかも。

なにか?というと

やはり外国の方と話をするには必須なのだと月明洞で思ったのでした。
台湾、マレーシア、シンガポールのみなさん普通に英語を話されていて
これは・・・と思いました。

英語学習時間に全国平均より2倍以上費やす学校に通わせてもらっていたのに(勉強しなくても全国平均取れたのは学校教育のたまもの)話すこと・聴くことさほど身につけなかった親不孝者ですが、当時を思い出しながら勉強楽しくしようと思います。
そんな折、シンガポールの牧師さんが
どうして摂理で信仰を持とうと思ったのか?について6分半くらい英語で語っている映像をみました。
英語だからシンプルなのか
理系だから理路整然としているのか
どちらにせよ、「何か欠けていると思ったから摂理の教会に行く決心が持てなかった」ところから
牧師になるまで至ったその理由
短いけれどもエネルギーあふれてます。
人知超えたモノに触れるとたしかに覆るしかないよねと感嘆。

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/VNjDyQYtmLo” /]

そして、親日国の台湾では摂理会員(メンバー)たちがなんだか光って生きているということでTVで紹介されたそうです。
どうして信じるようになったのか?という点を軸に語られている内容です。

貧しい村で育ったけれど国から栄誉賞をもらうまでになった人の話もあれば
頭が良いだけで人間味がなったが変化して人を助けるようなコンサルの仕事をするようになった青年の話
絶対治らないという免疫疾患が治った体験をしたお医者さん
チョンミョンソク先生という人がどんな人なのか自分の心で確かめた初老の男性
いろんな切り口、いろんな人生が紹介されている動画です↓約20分くらいですがあっと今でした。

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/9AuwUf-sm00″ /]

わたしはグローバルな人になろうなんてまったく思わない人だったんですが
摂理が普通にグローバルなので、
自然とグローバルになるしかない状況
楽しんでいます。
そして、彼らのように私らしく素敵に生きることを追求したいなと改めて思いました。

母と祈る。

毎日ではないが、母とお祈りをする。
母が神様と親しくなれるように、母がもっと神様に自分のことを話すことが出来るように。

家族の問題を、解いていくには、お祈りと御言葉だと
しみるほどわかったので、
母と祈る。

母はまだ摂理のメンバーではない。
バイブルスタディを学び途中。
摂理を悪い団体だと言っている人たちの存在があることや先生の状況については
壮年部の合宿に参加させてもらった時に教えていただいたので知っている。

母は私のように祈れないとよく言うので、
私は私、
お母さんは、お母さん。
お母さんの心からの一言を待っている神様なんだよ。
お母さん、ソフトボーラーだからキャッチボールわかるよね?
キャッチボールをするみたいな対話をしようと思って待っていらっしゃるんだよ。

と、認識の転換を図れるように幾度となくトライ。

そして、そう話している自分自身がちゃんと神様とキャッチボールできているっけ?と
自分自身の点検にもなる。

母がどんな思いで、一緒に祈っているのかは正直分からない。
でも、永遠である霊があること。人生一生をかけてより良く自分の霊を作ることが大事だと
伝えた時に、それはそうだと思うと母は神妙な面持ちで認めていた。

祈り終わったあと、母は温かくやわらかい表情であることが多い。
なんらか、神様から癒しと恵みをもらっているのかもしれない。。。。

私が知る限り母が家を出ようとしたことは4回ある。
言葉に出来ない辛い思いをしながらも子供を捨てないで
一生懸命に育ててくれた母が、どうか後悔のない人生を生きることが出来るように
心からの祈りを捧げ、
聖霊様に助けを求める日々である。

(2016年12月27日UP記事リライト)