「餅つき」なう。

年始を迎える準備の一つ、

餅つきのお手伝いをしています。

 貞子が出て来そうな井戸にみえますが、これは石臼さんです。

 家で採れたもち米を使います。

 釜一杯にお湯を沸かし、この窯でもち米を蒸します。
この炎感、インスタ映えか?と思って投稿してみたら海外の方の反応が早かったです。

山で採れたクルミを父が一心に割ってほじってくれています。

私が炒る担当。

 弱火でじっくり炒ります。杵担当は父、ひっくりかす担当は私。

 のして、切り餅にする分と
 くるみ餅を作りました。

つきたてのお餅はやはりおいしいです^^

作る喜びと食べる喜び。

父が蕎麦の実を初めて栽培した。
その蕎麦どうするんだろうと思っていたところ・・・
製粉からしてくれるお蕎麦屋さんがあるそう。

蕎麦は美味しいと思わないと言っていた父が
「ウマイ。ウマイ。」といって食べているから

やはり作る喜び=得る喜びなのだなと思う。

蒔いてこそ刈り取る。
農業はそれがリアルにわかる。

でも、手間がかかる。
育てている時間が9割で食べる時間は本当に瞬間。
あっという間の1割以下だ。

だからこそ
刈り取る喜びだけでなくて、蒔いて育てていく過程の喜びも味わうようにと
チョンミョンソク先生が今年最後の水曜礼拝でおっしゃっていた。

希望が漠然としていると喜びづらい。
過程の喜びをも味わうって、得ることが前提だからこそある気がする。

何を得ることが約束されているのか?
バイブルスタディ・みことばを学んでこそわかること。

分かった分だけ、希望が漠然としない。
分かった分だけ、過程も喜びになる。

2018年何を蒔いて行こうか。
今年もあと数日、気を引き締めつつ
いっそう新たに作って行けるよう送旧迎新の準備をしよう。
そう思った。