ポジティブ思考と感謝生活は似て非なるもの。

昔、読書感想文の課題で「少女パレアナ」が出された事があった。

ハウス食品名作劇場の「愛少女ポリアンナ物語」(平成生まれは絶対知らないだろう)の原作だ。

当時のクラスメイトが「無理矢理な楽天主義は気持ちが悪い。そう書いて提出する」と意気込んでいる様子が
強烈だったので、忘れられない作品。(笑)

 

たしかに、心疾患に「ポリアンナ(パレアナ)症候群」という名前が付けられている。
どういう症状かというと
楽天主義、行き過ぎたポジティブ思考は現実と向き合わなくて実際取るべき行動をとれなくなる
というもの。

善いことを探す、そのことは良いとしても、現実にある解決すべき問題を見据えて対処しなければ現実逃避になってしまい
事態が悪化することもあるということだ。

ポジティブ思考は、落ち込みを回避できるが、根本的な解決にはならないという事を知り得る。

わたしは、摂理に来てから摂理外部の人から肯定的だとか、ポジティブだよねと言われることが時折ある。
以前は否定的な考えで負のスパイラルだった人なので、大分変ったんだな~と思う瞬間だが、
どうしてそうなったのか、をふり返って考えてみた。

思い当たったことは、
神様に感謝することで神様の視点で考えて自分の直すべき所、改善点を見つけて直していくことを
教えてもらったからだった。

そう信仰生活をする中で、すべきことの一つに「感謝すること」が上げられている。

「すべき」というと、強制的な命令的な感じの印象をあたえる言葉だが、
自分にとってあたりまえに必要なこととしての「すべきこと」だ。

チョンミョンソク牧師の神様への感謝の精神はどのようなものかというと、

崖のようなところから転がり落ちても、雷に打たれても、詐欺師に騙されても、神様に感謝。
神様がしてくださったこと、与えてくださったものは何年経っても感謝。
どうしてそうできるのか?と思って考えてみた。
絶対信仰があるからだろう。

どうして絶対信仰があるのか?
本当の苦痛を知っているし、そこから救ってくださった神様を真実に認めているからだと思う。

底辺・どん底を知っている人は這いあがるしかない。

そして、自分を助けて下さる方は誰なのかを痛切に知るしかない。
ダビデが詩編を通してもそれを語っているように。
なぜ神様に「感謝する」べきなのか?
チョンミョンソク牧師の説教を見るとそう生きるべきだなと素直に思えるのは
ご自身がその通りに生きて来られたからなんだと思う。

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神様の心が少しだけわかる。

聖書の読み方を教えてもらってから
通読をし始めて、気づく事、感じる事、学ぶことがその回ごとにある。

最初はあまりにも読みづらくて大変だった旧約聖書だが、
通読5回目くらいになった時、神様の傷ついた心を感じられるようになった。

するなといったことをしたら災いだと仰った御言葉を守れずに
幾度も民族的な艱難を受けるイスラエルの民の姿を見つめる神様の痛々しい心。

人の心はあまりにも変わりやすい。

その痛みを感じた。

わたしは、自分を含めて人を信じることが難しい人だ。
なぜならば、心が変わりやすいから。

そんな人がチョンミョンソク先生をどうして信用するのか?というと、
先生は誰よりも辛い思いを今もしているはずなのに、変わらず愛で接するから。

チョンミョンソク先生のことを悪く言う人達がいるとしても、
変わらない心を持っている先生を見たから、私は先生を信じるしかない。

無念な思いをしても、
変わらない心で神様の愛と真理について
行ないながら、
命がけで伝えている奇跡のような姿を今も見ているから

変わらない愛をずっと待っていた神様の心を満たしただろう先生を
神様がどんな心で見ているのかが、少しだけわかる。