月明洞。

訪問中のメンバーから生中継的に写真やら動画やら恵みと愛のおすそ分けもらった

20160728191926さらなる次元で開発を進められている模様・・・・。

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月明洞を見なさい。開発前には雑草と腐った水と荒廃した山奥だった。見たくもない呪いの地、悲しみの地だった。本当に不細工な山奥だったし、索莫(さくばく)として寂しくわびしい山奥だった。希望のない山奥、死の山奥、苦労の山奥だった。
しかし時になり、<神様の構想>に従ってそこを「よく」変化させた。「よく」変化したので希望の山奥になり、美しく神秘的で雄大な山奥に変わった。
救いと引き上げの山奥、愛と理想の山奥、光り輝く明るい山奥、命の山奥、清潔な山奥、天国の山奥、美しく高貴な人たちが世界から群がってくる喜びの山奥になった。
このように、「よく」変化したら<極の希望と喜び>があふれ、「悪く」変化したら<極の絶望とみすぼらしさ>で終わる。

たしかに。
そのとおぉぉぉり!と一回でも行くならば、そして、開発するその真心と愛と経緯を知るならば心からその美しさと神秘的さを感じるだろう。

バイブルスタディを途中まで聴いている私の母も2012年に一緒に訪問しましたが「神様を感じる」と言っていました。
先生とグランドでキャッチボールをしたいというコメントもしていました笑
(母は現役のソフトボーラ―(←全国大会とか出る)

 

自分の考えをはっきり持ちたいならば考えの倉を整理整頓することなり。

きゃりーぱみゅぱみゅさんが「自分の考えはっきりもった女性になりたい」とコメントされたそうな。
自分の考えをはっきり持っているような独創的なファッションや曲を発信している方だとおもっていのたで意外だった。。。

誰かのコメント・意見に自分の信念・考えが揺れないことを「自分の考えをはっきり」持つことなのかもしれない。
そう思った。

摂理にくるならば、そうなるしかないからオススメしたくなった。

何が≪要る考え≫で何が≪要らない考え≫なのか?
それが真理を学ぶことで可能なのだ。

自分を作るならば、よく考えて、よく研究することが大事。

何千年もかけて書き残された聖書。日本の歴史の倍以上の歴史を持っている聖書。
そこに何が書かれているのかというと、神様から人間に向けたメッセージ(愛・永遠な命)がその時代の人・エピソードを通して凝縮して
書かれている。

さて、約2000年前イエス様がおっしゃったことを弟子のマタイさんが書き記している

 

「そこでイエスは彼らに言われた
「それだから、天国のことを学んだ学者は、
新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人の様なものである」
マタイによる福音書13章52節

ここでいう、

天国のことを学ぶ」とは ⇒御言葉を学ぶ=真理を学ぶ

[倉]とは⇒「考え・脳

倉の主人は倉から新旧の家財道具を選別する決定権がある。
自分にとって必要な物がなんなのか、考えて取捨選択すること

神様は人に考え・自由意思を与えられたので、学んで選択する自由がある。
学ばないことも一つの選択でもある。
でも、聖書・真理を学ぶことで生き方・選択する軸がはっきりするのだ。

真理を学んで、真理で考えて、わからなかったことがわかるようになると
真理の光がさす道を行くしかない。
ゆえに、「自分の考えをはっきり持った人」になる。

納得できる順理、理致、矛盾なく、心情をもって教えてくださる
チョンミョンソク先生がちゃんと教えてくれるから、必要なことが何なのか、
いらないものが何なのか、
わかって生きることが出来るようになった。

自己中心的な事ではなく、より高い視点、神様の視点で世界を、自分を見ることが出来るようになった。
自分の考えだと取捨選択できず、ただいらない考え荷物が多くなったりするが取捨選択ができるから自由を手に入れる。
自分の考えをはっきり持ちたいならば、考えの倉を整理すること。
真理でもっての取捨選択だ。