リアルに制約を受けない愛。

摂理で神様の愛、神様から人間に向けられている願い・想いを知り、
自分の生活を通して、これか?
いや、こういうことか?と
いきさつを経て、
双方向型の神様との関係が愛なのだなと。
ひとずつ、「愛」の認識が変わってきました・・・。

摂理の有名人と言っても過言ではないはずのCAのLunaさんの最近書かれた記事に
この「神様との愛」についてリアルにありのままが書かれているものがあった。>「初恋の心」
そう、そうこれ。
本当に、そうだなと思いました。
私から始まる。

わたしは真理で大満足の人でしたが、
神様は真理の上に愛を成したいとのこと。その愛は御言葉を行なってこそ成される。

というわけで、日々学びつつ
また挑戦の日々でごわす。

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深く高い神様の愛。
わたしがどこまで挑戦できるか、待っていらっしゃるのだろう。。。
環境も状況も超越できるの心・考えを駆使して、天との愛。
成してみたいと願いつつ一日を始めます。

摂理でよく聴く単語:恵み深い。

結構、このワードは至るところで聴くので幸せな私たちだな・・・と思うですが。

ふつうに、日常会話では「めぐみ」とか「めぐみぶかい」とかって言わないので
初めて聴いた時、どういう意味なんだ?
って思いませんでしたか?摂理人のみなさん。

わたしは、いちいち単語とか意味合いとか気になる人なので、
新入生当時、この単語をいかに日常会話で使う単語に置き換えられるだろうか・・・
と思案してた時期がありました。(←あんま意味ないことを大真面目にしてスミマセン)

私が、摂理で信仰生活をしていて感じ得た「めぐみぶかい」という単語の意味は
「神様が与えて下さる喜び」です。

 

平たく言うと、人間的な尺度では得られない喜楽。

 

 

神様と自分。そして、神様の中で共にする兄弟姉妹との和による喜び。

それを体感するときに「恵み深い~」って単語、しっくりするなと思いました。

これは、体感型単語ゆえに
神様を知って信じている人ならば使える単語ですね。

※一個人の勝手な見解なので、ご了承ください。