Not家族崩壊=家族再生。>摂理の問題ホントのところ

祖母は90歳越えている。
先日、玄関先の段差で転んでいるのを目撃した際、

「チクショーいてぇなぁ、ごくろーなしめ。。。」自らの老いに悪態つきながら起き上がっていて
気の強さは今なお、健在と思った。

三つ子の魂百まで。ということわざ、平成生まれのみなさんあまり使わないかもだが、
私にも受け継がれている気の強さというか血気の問題は祖母や父を見て思うところ。。。

幼いころ祖母が祖父を鍋で叩きながら口げんか(鍋凹んでいました)していたり、
父が怒鳴り散らしているのを見ながら育ったので、どこの家庭もこういうものなのだろうと思ってた小学生時代、
友達のおうちに遊びに行った時にあまりに穏やかなご家族におどろいた記憶がある。

見たものに影響するし、怒鳴らずに対話するということを知ることなければ
やはり連鎖は止められず、私も妹たちにそのようにして、自己嫌悪の嵐。
また、話そうものならば、怒鳴り合いに発展するような負のコミュニケーションのため
家の中は自然と静まり、ダークトーンな雰囲気醸し出すしかないこと常であった。

今では、山梨という田舎にもメンタルヘルスについて公的な機関も取組があったり
心療内科やカウンセラーなどもいるようになったが、
私が学生の頃は自分で心理学の先生を捕まえて質問したり
自分で心理学・メンタル系の本を読んでどうにか改善できないか、研究したり、実際、カウンセラーに診てもらったり、いろいろと自力で出来る限りするしかなかった。

参考になる事もあったし、心の整理も進んだこともあった。
けれども、こみあげてくる血気・憤り・負の感情をどのように対処したらいいのか?
それについて根本から答えをくれる本はなかったし、人もいなかった。

根本からの解決、それは
「こんな私でも生きてて良い」そういう答えが欲しかったのだ。

こんな私・家族だがどうしたらより良くなれるのか?

それを教えてくれるところ・リアルに助けてくれるところ
そんな存在が欲しかったのだ。

当時は、いろいろと疲れてきてもういいやと仕方ないものは、仕方がないと諦めていたのだが
摂理で根本の答えに出会うようになり
切って捨てたかった、悪なる感情について
実際に、どのようにしたら捨てられるのかを学べるようになったのと
かさぶたと血だらけだった心を
羽毛布団みたいなやわらかさと温かさで神様が包んで下さった。

自然とおだやかに笑えるようになった姿をみて、
両親は信仰生活を反対するはずがない。

そして、
摂理のメンバーに会う時に、「いつもお世話になっています」と心から感謝するしかない。

父が数年前、壮年部(結婚してから摂理のメンバーになった部署の方)のお店でメンバーと食事を一緒にした際に、
「自分がうまく出来なくて、娘に辛い思いをさせていた。今、こんな風に元気になっている娘の姿を見て・・・ありがたい」そういいながら、目を潤ませているところを目撃。
そんな風に思っていたとは全くわからなかったから衝撃だった。

チョンミョンソク先生がよく「話してみなければ分からない。話さない事で誤解するのだ。」と対話することの必要性を説いて下さっていたが、本当にそうだなとおもった。

対話の必要性は分かっても、対話が成立するには傷む心を癒してくれる絶対的な神様の愛が必要だった。

神様の愛は思い込みでも、マインドコントロールでもない。
ただ、求めたとおりに、応えて下さる神様だと
体験してそう思う。

そして、宗教で家族崩壊する新興宗教の話は書籍になっていたり、講演会していたり、救済活動もあること知っているが
摂理において(私自身は摂理は新興宗教だと思っていないが、そう捉えている方もいるようなので)は、摂理から離れるよう強制的な監禁等をしている団体からの偏りのある加工された情報で恐ろしくなってしまったご家族が、そちらに言われるがまま、監禁することなどを許諾するにいたり、家族間に溝が生じる問題があるを見聞きしてきた。

しかし、昨今の摂理では、ちーちゃん家族のように
一家で、楽しく摂理メンバーになることが、5,6年前に比べてよく聴く話になってきている。

それをとおして、
問題はどこにあるのか?
実際が、見えてくると思う今日この頃だ。

 

イイね!キャンペーン。

我が家でイイね!キャンペーンを開催中です。
きっかけは、日常の中でふと感じた
「おッ社交ダンスの鍛錬が現れているね!」とかんじたのを
父、母にお伝えしてみたところ
思いのほかめっちゃ嬉しそうだったところが発端です。

 

ごみを捨てているただその動作がとても美しかったんです。

ダンスって、伸ばすところを伸ばして重心をどこに置くか意識をすると
体の動きが美しくなるのだとクラシックバレエを2年ほど学んだ時に教えてもらいました。
肢体の一部、一部、各部分を意識して動かすのはけっこう訓練・鍛錬が必要だなぁと
思いました。

最近の父母は立ち姿もきれいになってきて
日常動作の中のキレのあるターンも台所で見られるようになっていて、
なにごとも積み重ね、身につくと日常に現れるんだな~と。
考えが深くなります。。。

キャンペーンにしたのは、
聖書を学ぶという時に、自分の考え・人生をなんか否定されている感じがする。
ということを父がかなり昔に漏らしていたことがあったのを思い出したのがきっかけです。

 

神様のみことばは「よいこと」「わるいこと」をはっきり分ける剣のような鋭さがあるので
受け取り側の心が自分に良い所があるって思えていない自己否定的な心だと
あ、やっぱり自分だめなんだ。と全否定として受け取ってしまい
神様を誤解してしまうんだなと、思いました。。。

わたしも両親もいろんな理由があって、「頑張っているね。」「あなたがいてよかった。」「イイね!」そういう
肯定的に認める言葉を掛けられないまま、成長してしまったので
失敗する自分を責めたり、
精一杯やっている自分を認められなくて、疲れて倒れたり。。。
まぁ一言でいうと、まじめな人なんだねと言うことですが
本来あるべき自己肯定感がないと空回りな辛さが生じてしまうのだなぁと、信仰生活をしながら考えを直していく際にわかりました。

人に褒められたいというよりは自分で自分のことを正しく認められるように。
自分だめだ。
という考えではなくて、
神様がどんなふうに自分を見ているのか。
それをもっと、感じられる私たちになることを願って
イイね!キャンペーンを開催中です。