人は気分で死に、生きるってしみじみ思うわけです。

一日を振り返ってみると、自分の気分をどのくらい調節できたかな~と
あまり思わしくない日だからこそ、その調節レベルが知れてしまう。

何が原因で、気分が思わしくないのかを知ることも必要だけれども
知ってより改善するというよりは「仕方ないね。」でとどまっちゃっている自分を見つけました。

「どんな状況、コンディションでも飛べるようにした」と宇野選手のコメントがエコー響かせながら思い浮かぶ。。。

これだと、結果を残せねぇ!とイマサラ気づきました。

「自分のココロ・気分」を良い方向へ調節することについて研究して、行かねば!
イマイチな自分で終わらないように気づかせてくださった天に感謝。

チョンミョンソク牧師のお母さんを思い出すと知らないうちに涙が出る。

もう亡くなられて3年目になること、あっという間で驚くしかないけれど
先生のお母さんを思い出すと、言語化するのがむずかしい強烈な想いが込み上げてきます。

一番最初にお会いしたときは縁側で、2回目にお会いしたのは部屋の中ででした。
どちらも20分もしない短い時間で、簡単なあいさつを月明洞を訪問したみんなでさせてもらっただけでしたが、
それぞれ、印象的だったのは適当じゃない握手をしてもらったことでした。

深い苦労と重ねてきた歳月をかんじる
節くれだった指と深い心情がシワと共に深く刻まれているような手。
子供のように小さくなったお母さんのどこからこんな力がでてくるんだろう?と不思議に思う握手。

毎年何千人と日本人は訪れているはず。
なのに「あなたに初めて会いましたよ。良く来ましたね。」
というような力強くて、温かい握手。

先生のお母さん。
というと、私はあの握手を思い出してしまう。

「先生はどんなお子さんでしたか?」と誰かが質問をした時に
「うんこ漏らしながらピーピー泣いて後をついて来るような普通の子だったよ」
と少し遠くを見ながら話されている姿を見て、何歳になっても子供は子供なんだという言葉が思い浮かんできました。

チョンミョンソク先生について、ねつ造された報道で先生のご家族も大変な思いをしてきたはずです。
とくに月明洞(ウォルミョンドン)に取材陣が押し掛けてくるようなこともあったと聞いたことがあります。
先生のお母さんはソウルで先生のお兄さんと生活していたので月明洞に戻らなくてもよかったのに、
あえて戻ってこられたんだということを後から知りました。
先生を心配して少しでも間違った情報がなくなるようにしようとされていたんじゃないか?

握手を真心込めてして下さっていたその想いと、
裏表がないカッコイイ生き方をされてきた先生のお母さんを思うとなんだか知らないうちに目が熱くなります。
私でさえ、もう一度会いたい先生のお母さんなのに、チョンミョンソク先生はどれほどだっただろうか。
それを思うと、心が痛くて、言葉になりません。