コワイを克服すること。小さなせんせいに教えてもらいました。

春爛漫。

さくらの開花を楽しむそんな今日日。

ひさしぶりに山梨をおとずれた姪っ子と公園に行ってきました。

前回あった時より頭一個分大きくなった姪っ子。

彼女は力が有り余っているらしく、家の中でのあそびだと限界がある模様。

ということで、山梨県下では遊具数NO.1といわれている「みだいみなみ公園」に行ってみたのでした。

しばらく来なかったうちに、遊具が入れ替わっていて、対象年齢は12歳までと明記されていました。

なんと。。。わたしここのザイルクライミングを楽しみにして来たのに。と、残念さハンパない。
そして、ザイルクライミング自体のサイズも前と比べて少し低くなっていました。

そういえば、大きなお兄ちゃんが面白がってぴょんぴょん飛び跳ねて揺らされたなぁ。すごくこわかったなぁと、小学生の時分を思い出しました。。。
そんな過去が思い出されたので安全に楽しめるように変わったのねと納得。

公園内の立て看板にも「中学生以上の方は小さいお子さんにぶつからないように配慮をおねがいします」というような案内がありました。

というわけで、お子様たちは各々のびのびと遊具で身体能力を高めるような遊び方をしていました。
姪っ子もたがわず、彼女は「こわい!こわい!」と連呼しながらも、ママのアシストナビをもらいながら攻略。

コワイって言いながらも、突き進むんだね。。。不思議。
そう呟いたら、妹が「そう、挑戦していくんだよね。恐いんだけれど、前に行きたい!そういう気持が強いみたい。」
母親の見解を述べてくれました。
念のため、当事者にインタビューしてみたところ「んとね!こわかったけれどね、こっちゃんの足がするする~ってできたの!たのしかった!」とのこと。

なるほど。
前に行きたい。
その気持ちが「出来る」っていうゴールにたどり着くのだね。出来ないコワいじゃないんだ。

不安は、目的地を見失わせる。
不安よりも、目的地を見つめるならば、闇雲な恐れに足を取られないのだ。

「大胆であれ。」
って、そうかやっぱりこういうことなのだと、教えてもらいました。

やはり幼子は天国に入れるんだなぁ。
そんなことを実感した公園日和。

何から卒業できたのか、分かって前に進むってこと。

昨日から卒業式帰りの子たちを目にする。

晴れ晴れとした顔だったり、どこかさみしい思いも持ってそうな顔だったりそれぞれ抱いている思いがあるだろうなと伺える。
卒業式、その日も強烈に自分嫌いでどん底だったなぁ。と、思いだす。

あの時は、まだ甲府にいくつも映画館があって、自己嫌悪を紛らわす如く、学校帰りによく映画見に行っていた。
卒業式のその日にも、映画の日に映画見に行くしかないだろ?って言いながらジョニーデップを見に行ってた。
パーティーやデートをして浮きだっている同級生たちとはまさに水と油だった。
こんな過ごし方する奴は私くらいだろうなと自分でも、思っていたっけ。
誰かと過ごす中で感じる孤独ほど、耐えがたさを感じて一人が気楽!を常とした、いわば夜の時代。

明けない夜はない。という言葉が希望のようでもありつつも、自分にはその夜明けが来ないんじゃないかと焦燥感にまとわりつかれることもあった。
そんなだったなぁ20年前は。

目の前を輝く笑顔で歩いて行く卒業生たちを見て安心しながら、私はあの時とどのくらい変わっただろうか?とふり返える。

基本的にまだ何か成せたものがない肩身が狭い奴ではあるけれど、
途方もない孤独と怒りが雪解けのように無くなったと断言できる。それが私に起きた奇跡だと思う。

まだ後遺症のように、リハビリというか開発必要なところはあるけれど
誰かの痛みが無くなるように、自分に何ができるだろうか、
当時の自分には考えることも余地もなかったけれど、今は「出来なくても出来る様に考えてみよう」そんな風に思える。

まだアクションが乏しくて、「何もしない」っていわれる程度だけれども
手におえなかった苦しみが解決されて「本当に生まれてきてよかった」と親に感謝出来るようになったことが、
私にとって不可能が可能になった出来事だったから、


だからこそ、今後の人生は誰かの為に不可能を可能にしよう。
そんなチャレンジをしようと思えるのは、不可能を可能にしたその人に教えを乞うことができるからなんだろうな。
人生、一生、一作品。
感謝で生きたい。