小さな応援団。

花屋にはないお花がもっている、その力強さにはげまされるんです。

だれかが植えたのでもなく、

だれかに肥料をもらったり、水をかけてもらっているわけでもなく、

雪に埋もれたり、寒波に何度もさらされたはず。

でも、咲いた。

踏まれることもあるだろう。

でも、生きる。

ただありのままで生きることの美しさを
おしえてくれる。

道端のお花。

今もし不遇な時、
冷たい風、凍りつくような雪がのしかかっているようなことがあるとしても
いつかは花を咲かすその過程だということ。
温かい春の日差しの中で輝く瞬間がいつかは来る。
それをお花たちは伝えているのだ。とおもうんです。

しみる。

自分が、山梨から東京に通うのも

明け方3時とか4時に起きて祈るのも

多分、理解されないハナシ。

でも理解されなくてもいいや。
実際、自分が体験しない限り理解など出来ないハナシだから。。。

自分の不甲斐なさは誰のせいでもない。
摂理-キリスト教福音宣教会 明け方の箴言がしみまくる。。。

<自分の限界>は「予定」でなく、
<自分の行ない>で栄えることもあり、
自ら没落することもある。

自業自得ってやつですな。
そんな私をただほうって置かない神様だとも感じた。

 

 

全能なる神様は、
全ての人間が自分の民だから、
無限に栄えることを予定しておかれた。

キリスト教福音宣教会-摂理 明け方の箴言

どんなに不甲斐ない自分も、よりよく生きることを願って
良いことだけを神様は予定されているんだよって。
朝から力をもらった(;_:)

人がなんて思おうが、私に必要な
まさに「糧」だと痛感。