お母さんによるお母さんへの「批判」。

コスモポリタンの「母親たちへの批判に喝!あるママの投稿がカッコいい」この記事を読んで
子育て中のお母さんたちの心労について知り得ることになった。

アメリカ版コスモポリタンで掲載された
Facebookの<Love What Matters>へ投稿されたアシュレ・ポッターさんのメッセージは
現在1万8,000回以上シェアされ、多くのお母さんたちを励ましているというとのこと。

アシュレ・ポッターさんのメッセージ(※この翻訳は抄訳)コスモポリタンより引用

母乳育児をしているお母さんへ:時間をかけて与える母乳は赤ちゃんへの最高の贈り物だわ、あなたはいいお母さんよ。

ミルクで育てているお母さんへ:お母さんの母乳が出なくて赤ちゃんが苦しんだ時代もあったわ。でも科学が進歩し、今はそういう時代じゃなくなった。あなたはいいお母さんよ。

布おむつを使ってるお母さんへ:赤ちゃんの大きなオムツは世界一可愛いわ。あなたはいいお母さんよ。

紙おむつを使ってるお母さんへ:オムツの漏れや洗濯物の心配がない紙おむつを使うのは良いこと。あなたはいいお母さんよ。

専業主婦のお母さんへ:子供のために家にいることは楽じゃないと思う。その時間を子供のために費やすことは、子供の成長を目の当たりにできるということ。あなたはいいお母さんよ。

働くお母さんへ:自分のキャリアを維持することは、子供にとって将来ポジティブなお手本になることだわ。あなたはいいお母さんよ。

買い物にも行けないくらい疲れ切って、テイクアウトで子供に晩御飯を食べさせるお母さんへ:子供達の顔を見て、嬉しそうじゃない? あれもこれもやらなくちゃって我を失うより、みんなが疲れているときに必要なのは「お持ち帰りのお手軽な食事」。あなたはいいお母さんよ。

周りの目を気にしながらレストランで子供と食事をするお母さんへ:一緒にレストランで素敵な食事をするために、あなたが子供をきちんとしつけてること、周りの人たちは気づかないかもしれない。でも、あなたはいいお母さんよ。

スーパーで癇癪を起こしている子供のお母さんへ:子供っていつも「ここで癇癪起こすのはやめて、ここでだけは!」っていう場所で癇癪を起こすのよね。どんな親でも経験する道だわ。あなたはいいお母さんよ。

ここで挙げられているお母さん達に「悪い母親だ」とレッテルを貼る、他のお母さん達へ:批判や決めつけはやめましょうね。
1人1人、事情が違うのだから。

いろんな事情があるけれども、子供を思って一生懸命に育てている。
表面的な一部分で勝手な判断をしないで。
というメッセージ。

私としてはお母さんがお母さんを批判する。
という事実があることに、びっくりした。

お母さんだからこそ、同じ大変さが分かりあえるというか、思いやれるのでは?と思っていたので
ちょっとした衝撃であった。

自分が正しいということを示すために、相手を否定する・批判する
その構造があるならば、否定をすること自体が意味がないことに気づいてほしいと祈る気持ちになった。。。

同じ人がいないように、いろんなお母さんがいて、いろんなお子さんがいる。
自分の人生を見てもわかりそうなのに、、、どうして、同じにしないとまずいっておもうんだろう。

真心と愛はどんな方法・形であっても子供に届くと思う。

たしかに、そう。

私の母は、私と対話することがあまりなかったけれど
私の健康を考えて野菜をかならず食事入れてくれていた。
子供の時は気づかなかった愛が、大人になって、自炊をするようになって
体質習慣になっている野菜を取る食事生活は
母の愛だったんだと気付いた。

親の心、子知らず。

神様の愛もそう。

人間が知るべき一人ひとりに向けられた神様の愛について思いをはせつつ
一生懸命に子供を育てるお母さんたちが神様の愛を感じたらいいなと思った。
ので、祈る。

マザーテレサの子孫とランチ。

ご存じのとおり、マザーテレサはシスターなのでご子息、孫等いらっしゃらないですが(^_^;)

以前、ご紹介した「休憩時間がない職場にムーブメントを起こした女。」の異名です。

由来は、職場でクレーム対応をする時にどんな相手でも穏やかに、肯定的に接する姿を見た同僚・後輩から
「マザーテレサの子孫ですか?」と言われたそう。

すげー愛の光放ってる。
と思いました。

神様の御言葉をたくさん聞いて、学んでも、行なわなければ
行なうとしても、そこに愛がなければ
本末大転倒

わたしは御言葉好きですが、その通りに行なえているか?核である「愛」を分かっているか?

行なえているとは言えない・・・・愛、ワカッテイナイ。と
やまなしと東京をふたたび往復する生活をするようになってから、この7年くらいずっと思っています。

聖書を読むと、(新約聖書ヤコブの手紙に)「行ないのない信仰は死んだものである」この一言に
何度息の根を止められそうになったことか。。。。

教会の無い地方で信仰生活守るだけですごいとか、ごくたまに言われるのですが、
私は摂理の御言葉はどこでも実践できると思っているので
実践できていない自分を見るたびに、なんつーくそ野郎だと思います。(あ、品性が良くなくてすみません)
教会や、信仰の姉妹たちのすばらしさ、有難味は深く味わいますが、信仰生活とは人生だから、場所とか環境とか自分がクリエイトするのは自然というか、神様は無から有を作られたんじゃん?と。おもうのです。

御言葉の素晴らしさを伝える姿。。。
それは生活のどこでも可能だと思います。

生活の隙間のような瞬間、瞬間、というか、生き方そのものを通して、神様の愛と真理を伝わるようになりたい。

チョンミョンソク先生がそうだったし、わたしたちその先生から教えてもらったんです。って
これがどうしてカルトなの?って多くの人が認めるしかない姿を現していきたい。

そう、マザーテレサの子孫とランチしながら思いました。