終活産業ってものがあるらしい。

ニュースを見ていたら、終活(葬儀・埋葬等)産業が注目浴びていると知った。

色々と考える事はあるとしても、ペッパー和尚は度肝抜かれました。

あまりにテクノすぎると引くという意見や

なるべく無駄がないようにしたいという声や

色々とあるようです。

無くなる時に何を思うのか、何を残すのか
それは生きたとおり、様々だと思うのですが、

自分も周りも温かな心で終えたいそう思います。

私の母はキリスト教式のお葬式(礼拝みたいに賛美か歌ったり、牧師さんからのメッセージがある)がよいと言っています。
じゃまず、バイブルスタディーを学ばなければだよね!?と進言しておりますが、
母は社交ダンスに没頭中です。
やはりソフトボールで全国大会に出るほどの体力?気力?もっていらっしゃるからか・・・
全力で人生を謳歌中です。
折を見て、ちょいちょい聖書を一緒によんだり、一緒にお祈りをしています。
(スカイプで母に御言葉伝えて下さる方、募集中です☆)

肉体の人生がなんのためにあるのか?どのように生きる時に、後悔がないのか?
その上での終活ができることが本当に希望的というか、

どのように生きたのかその通りの霊界に行く。
これが本当に分かっていることって大きいなと改めて思いました。

人と比べる苦しさからの脱却。

一人ひとりがオンリーワンだって言っていう歌詞にみんなそうだよねと感動しつつも、
どうしてか比べることしてる人周りに多くいませんか?

皆と同じにしなさいという言い回しをする方がいたり、
皆さんどうしていますか?と「みんな」に合わせようとされる方をみたり、
今、これが一番人気ですよと、商品の良さを説明せずに人気があることで買わせようとする店員さんがいたり・・・

オンリーワンである事実をより認めて輝くよりは
「みんな」と一緒であることが価値があるとするような意識が強い気がする。

でも「みんな」と一緒になることで何かメリットがあるか?というと、

じつは、精神的にも無理がかかるし、実際の状況的に、自分に合わないこともあるから、一言でいうと苦しいことになる。

「皆と一緒だと安心」という判断をするような擦り込みが学校教育であるのか、それとも、遺伝・環境的な要因なのか
それとも、それらすべてから来るものなのか・・・といろいろ人間観察をして考察してしまう。

どっちにしても、全部疑ってかかることがデフォルトな私としては、みんなと一緒だと一緒に穴に落っこちることの方が不安なので、色々な角度から検証する方を選ぶタイプであります。
しかし、そんな私は「人と比べて自分はダメだなぁ」と思う<考えの癖>が根強いこと、今更ながら痛感中。

天と遠いなぁ~自分と思ったら、
自分の考えで天を誤解して、勝手に恐く思ったり
自分の考えでどうせこうだろうなと、勝手に判断したり
自分の考えで、線を引いてそこから出ないというスタンスが強い恐ろしいゆがみに気づきました。
それでいて、人をうらやましく思うような心を持っているってアホかあんた。
と一人ツッコミするしかない。

こういうことを気づけるのは、ほんとに感謝だと
天の御働きに感謝します。

摂理に来て、自分の悪い所を的確に見ること・直し方を教えてもらいました。
目に見えないけれども確かに
働きかけてくださる神様によって、みちびいてもらっていること
これがあり得ない変化の理由だなと改めて思います。
(↑自分の悪い所を妹とかに指摘された時に逆切れしていた人が、間違いを認めるってすごいよ!!!と妹を感動させたらしいです。(-_-;))

ほんとに、直し甲斐がありまくりな自分です。

比べると苦しくなるけれども、
認めるとそこから前に進めるから不思議です。
同じ5分でも未来がちがう。

認めることも、神様の視点で認めてこそなので、これ気になる方は摂理で聖書学ぶことをお勧めします~