カフェと本とわたし。

甲府(やまなし)は暑いトコロだよね~と思われても仕方ないですが、実は涼を取れる北杜市という場所があります。
標高があるため、北杜市の一部は北海道みたいな場所もあります。

そんな北杜市にはいろんなカフェがあり、のんびりとリフレッシュできるので、とてもオススメです。
今回はらーめんとピザがメインメニューなengawacafeに行きました。ビーガンの副菜メニューもあります。


2階は小さいお子さんがいる方が過ごしやすそうです。↓

庭には、真っ白な山羊さんが元気に草を食んでいます。

撮らせてもらったら「事務所を通した?」って言っているみたいな不服そうな鳴き声で反応してくれました。

文字通り縁側のテーブルでゆったり食事。
そして、クーラーいらずな自然風で涼をとりながら昼下がりの読書。

今回は「奇跡のりんご」の木村秋則さんの本を読んでみたんですが、これすごい感動します。
完全無農薬でりんごを栽培するという新境地を10年かけて成し遂げた方です。
平成バブル時期に収入0で辛苦を味わいながら、絶対無理・不可能を可能にした方がいたなんて!
一言一言がユーモアもありながらも深くあたたかく、苦労して成功したその姿、笑い泣きしながら
1時間くらいで新書の半分の量を読み進めてしまいました。

木村さんは日本全国だけでなく韓国にも無農薬栽培の専門家として招待されているらしいです。
その中の一節で目にとまった箇所。。。

韓国の国民の半数はクリスチャン。
そうなんです。
そして、教団信徒数が多いのも韓国発祥の教団「純福音教会」だと昔聴いたことがあります(今もそうなのかは分かりませんが;)
つまり、日本ではキリスト教って西洋のものだよねっていう認識&イメージが強くあるのですが、実態というか実際は、韓国ってキリスト教の国なのです。。。

母校、山梨英和は90年代から高校の修学旅行のテーマは「戦争と平和を学ぶ」ということで沖縄か韓国を選べるようになっていました。そして、韓国の有名な梨花女子高校と姉妹校として交流していました。(今もそうなのかは不明ですが、私の時は英語で文通もしていました。)韓国で一番有名な学校といっても過言ではないのに、日本の田舎の学校となぜ姉妹校?!と当時も今でも、首をかしげてしまいますが、じつは共通点がありまして・・・ミッション系(キリスト教精神の学校)ところが縁を結んだようです。

クリスチャンが多い韓国には、いろんなキリスト教の団体が大小さまざまあり・・・なおかつ、2000年前後は特に「ワタシ、メシアです」という人も多かったらしいです。。。そんな土地柄な韓国で新しめの団体であるキリスト教福音宣教会(通称、摂理)も怪しいところだと判断されがちのようです。

宗教に対しての嫌悪・抵抗感が拍車かかってキリスト教福音宣教会を悪く思う方も、そういう視点で反対されているメンバーのご家族もいるんですが、しかし、変な押し売りとかないですし、監禁されるメンバーはいても監禁することはないですし、社会性と人間性に希望持てなかったわたしですが、昔よりもいい人生を生きておりますからご心配なくとお伝えしておる次第です。

具体的には、自分のことを愛せなかったんですけれど、少しずつですが、ほんのりと愛せるようになりました。
自分を愛するように隣人を愛しなさい。
イエス様のおっしゃったことを実行するには、まず自分を愛することからなんですが、これ出来なていないなあぁ・・・と立ちすくんでは、座り込んでいた感じでした。

あきらめる直前にチョンミョンソク牧師の説教から、癒されたり学んだり、チョンミョンソク牧師が神様の御言葉「無から有を作り出す」それをどのように実践したのかを、故郷の開発を通して教えてくれたことを、私の生活の中でも試してみて神様の愛を体感していくのを積み重ねるようになって・・・これはオハナシじゃない。
と、チャレンジしていく中で手ごたえを感じたんです。
奇跡って自分のアクション次第で起こり得るんだと。

そんなかんじで今に至ってます。
まだ、回復必要なところもありますが・・・自分をどうしたら大切に出来るのか?
それを知った分、疲れなくなりました。
ヘンな疲れは多分、無理をしていたからなんだと思います。
イエス様がおっしゃったこと、少しずつもっと色々な形で、行なって生きたいなと思えるようになったこともうれしいです。

人生諦めなければ、得ることだけが待っている。
木村さんの奇跡のリンゴを通しても、自分の体験をとおしてもそう感じます。

求めよ探せ門を叩け、見つかるし開かれるからと聖書にありますが、まさにそれ。
居心地のよい場所を探したら見つかるように、これからももっと居心地の良い自分・場所を作り続けていきたいなと、そんなことを思いました。

『engawa cafe』
408-0003 山梨県 北杜市高根町東井出155
0551-47-6065
https://engawacafe.wixsite.com/engawacafe/blog
Open:水~土曜

カルト宗教に通う娘をナゼ止めないのか?その理由。

年に、数回くらいの頻度で「教会に行っているって親に話していますか?」と訊かれることがあります。

つまり、「教会に通う」というハナシをしづらい。
という状況にある方が思いのほか多いのだと感じました。

この質問のあとに続くのは「いいなぁ親に反対されなくて」というコトバ。

中には「どうして教会に通っていると言っても反対されないんですか?」

もうちょい、はっきり言うと

「どうして摂理(キリスト教福音宣教会)に通っていると言っても、特に止められなかったんですか?」
と言われることもあります。

なので、きょうはその辺りについて書いてみようと思います。

 

反対されない理由、シンプルに2つ。

一つは、「私が、かなりまともになった」のはイイ人達からの影響に違いない。と思っているから。

これは書いていて自分でも何ともいえない気持ちになるのが否めませんが(^_^;)、
事実、自分がここまで回復したのは≪神業≫と日々痛感しています。
その過程を目撃している家族(両親はじめ妹たち)も、その変化は認めざるをえないのです。

なので、毎週日曜日に礼拝に出かけるのが日常の風景。
もし私が家にいると「どうしたの?」と言われます。。。

理由の二つ目は、
「摂理・教会」について話しつつ、行事に誘って巻き込んでみたから。

とくに、話しづらい部分。を自然に話せるくらいになったことが大きかったと振り返って思います。

そのため、一部からまことしやかに「摂理はカルトだ」と言われている現状について何回か伝えているのですが・・・

母は「いやーみんなイイ人たちだから、それはない。」
父は「世の中いろんな話があっても、それが事実だとは限らんから。」

ドキドキした分、拍子抜けしました。

2人ともあまり多く語らない人びとなのですが、自分の目で見て、考え判断する人達だったんだなぁと、今まで私が知らなかった面を知るようになりました。それはさておき、2人は何を見たのか?というと、いろんな行事に参加して見たんです。

摂理(キリスト教福音宣教会)のメンバーと直接、会ったり、一緒に過ごしたりするような機会が幾度となくあったのです。

私が参加する教会のイベントや、教会主催のスキー合宿などに参加したり、山梨まで遊びに来て下さるメンバーもいたので、そういった交流を通して「この人たちはイイ人達」という認識がはっきり刻まれて、不肖な娘がお世話になりまくっているであろうから「これ持って行け」と家でつくったお米や野菜を持たせられ、私は筋肉痛になるということが割とあります。

話をまとめますと・・・
私のような不肖な輩は、親が心配しない。ということですね(^_^;)

あとは、父母ともにキリスト教について抵抗感が特にない。
この要素も大きかったと思います。どうしてか?というと・・・

キリスト教について良いイメージがあったのは、父の姉がクリスチャンで、しかもかなり人格的で模範となる方だったのと
若い頃、父はYMCAの活動に参加していたり、母は私たち姉妹がミッション系の中高に通っていたのでその学校の入学式・卒業式の礼拝に参加してみた時に、「荘厳な雰囲気がイイ!」と感じていたそうです。
二人ともキリスト教の活動や教えになんとなく触れたことがある。
それが大きかったなぁと思います。

共通して言えるのは、
自分が体験した物事によって、判断する材料になる。
キリスト教・摂理(キリスト教福音宣教会)が悪くないと感じるモノだった
と言える体験にあると思います。

そう、やはり体験って大きいなと思います。
まさに百聞は一見にしかず!ということです。

もし「摂理はカルトだ」という話を聞いたならば、
まことかどうかを確認してみるのがイイですね!
そんなオススメに帰結します。m(__)m