褒めることのむずかしさ。

ときどき「やまなしから良く通っているね」と褒められることがある。

というか、呆れられていることもあるけれど(^_^;)

自分にとって必要不可欠で、その価値があるから通っているだけで、
なにも褒められることはないのです。
なーんて心の底から言えるのはわりと最近かもしれません。

普通に自問自答しちゃっていましたよ。
「ほんとにここに時間とお金出してもいいのかな?(移動の労力など考えると^_^;)」と。

でも、人が決めることでもなく自分が決めて選べることなので
いつもその自問自答の根本は

「どう生きたいか?」というものでして
自分が確かめるしかないのですよね。

なので確かめた結果、これでいいんだ。
というかこれがいい。
そう確信出来たから今に至っているだけなのでした。

というわけで、私に「教会にわざわざ山梨から通っていてすごいね」というのは褒め言葉ではないのです。

むしろ「やっぱその価値あるよね!」と言ってもらえるほうが嬉しい。

そう気づいた時に思いました。
褒めるってむずかしいなと。

失望を希望に変えるには。

今週の主日の御言葉が「つまずくな」で、つまづきとは一体なんなのか
明確に説いてくださったので、
教会メンバーたちの会話やつぶやきに「つまずいた!」とか「つまずかせないようにしよう!」などなど
あっちにも、こっちにもこのキーワードがみられた。

聖書でいうところ「つまづく」について、
なーんとなくのニュアンスでとらえていたので
じつは長年、この単語の取り扱いがすっきりできてなかったのだが、
「つまずき」とは、「失望すること」「諦めること」「落胆すること」だと教えてくださったのだが、この説明に大いに納得。

最近あった出来事を通して、まさにそれ!「失望」この2文字に尽きる。
と思ったことがあり、今週はもろもろそれらが整理されてすっきりした。

思い返せば私の人生はつまずきだらけだ。

諦めること、落胆すること、自分にも、相手にも失望することだらけだった。
だから、「生きていけない」そう思った。

こんな私でも生きるべきならば、どうか神様ちゃんと教えてください。
そんな思いを抱いていた10代。。。
人生に望みを見いだせないまま年をとるしかないのかと諦めきった中で
私に学びなさいと断言する存在にであってから、希望はただの言葉でも幻でもなくなった。

だから、今回あった「つまずき」=失望も、そのままの出来事にしておいたら力が抜けたままだったけれども
どうすればいいのか、
「失望するな」とおっしゃる天の意図と胸中とは一体なんだんだろうかと思う時、
神様の愛を伝えることに全身全霊かけている牧師先生の今までが自然と思いかえされてきて・・・
誰よりも一番多く、誰よりも深く、失望することが多かったはずなのに、
どうしてこうやっていられるんだろうか。
その問いを天に向けると、
失望で終わらせない方法という知恵と
神様からくる愛というエネルギーがその人の存在通してじわじわと湧いてくるその不思議を改めて体感した。

9/1に自殺する10代が多い。
この日が近づくと、あちらこちらで死を選択することを止めようとする呼びかけが始まるのを目にする昨今。
諦めと失望、言葉にならない苦しさがあるそのような時を生きているどんな人にも、
生きることに力が湧いてこないような時に
生きる意味と価値が分からない時に
諦めなくてもいい。
失望しなくてもいい。
あなたが生きていることが本当に素晴らしく貴いこと。
その心の奥深いところまで響くメッセージを
命を懸けて伝えているその人から聴いてほしい、聞ける機会があったらいいのに。
心から、こころから、そう思う。