御子の降誕は愛。つまりは、一人ではないってこと。

うどん屋であったか夕ご飯。
レジで精算したところ「聖夜を一人さびしく過ごさないために」というあおり文句で
12/24~12/26は夕方から釜揚げうどんが半額!というチラシをもらった。

「聖夜を一人さびしく過ごさないために」

聖夜=恋人・家族と過ごす
というイメージなのだろうか・・・・。

確かに見た目的に、私、お一人様でごちそうになっていたが、これをさっと渡してきたレジのご婦人のすばしっこさと
さりげなく大きなお世話な商業戦略に驚きを禁じえなかった。笑

たしかに、私もミッション系の学校にいかなければクリスマスはプレゼント交換・ケーキ食べる日だったな~
と思う。

イエス様の生誕の意味を教えてもらってからは
イエス様のことチャンと信じているとは言えないのに、あやかって?プレゼント交換するのはなんだか居心地が悪かった。

そんなわけで、神様がイエス様を送った意味をちゃんと教えてほしいですと中学生の時につぶやいていた。心の中で。
あれはたしか、15歳のクリスマスだったと思う。

ヨハネによる福音書3章16節
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

この聖句が毎年学校のクリスマス礼拝で用いられていたから、この聖句の意味が知りたかった。
一人も滅びないで永遠の命を得るためって、滅ぶことから救われるってこと、それを成すために
たった一人の自分の子供を送るって、どういうこと?

と。クリスマス礼拝の奏楽の練習をしながらよく考えていた。
そしたら、ある日。
雷が落ちるみたいに悟らせてもらった。あまりに、自分の考えを越えていたから、わかった喜びで
クリスチャンでもなんでもない、母に、神様の愛はすばらしいよお母さん!!と伝えた。

あれは、今思うと聖霊だったんだなと思う。

摂理人ならば、知っている聖霊の御働き。
摂理人でないならば、何のこっちゃと思う聖霊の御働き。
神様の愛を感動で悟らせる。
心と考えに神様の思いを伝えて下さるのが神の霊、聖霊です。

話が戻りますが、クリスマスは神様の独り子なる御子がこの地上にイエス様として生まれた日を記念する日です。
誰一人、地獄に行かせないように、救うために来られた御子。
その天の愛を記念し、喜び感謝する日です。
人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。そういう話を聴いた事がありますが、一人じゃないです。
心の扉の前に、常に御子主は立っています。

聖なる夜。御子が地上に来られたから聖なる日。
御子がなぜ地上に来られたのか?

知りたいと思うあなたの心に、聖霊様が教えて下さると信じます。

ふと、比べる病が生じる時。

都会のねずみと田舎のねずみという絵本がある(タイトルはうろ覚え)

都会にあこがれる田舎のねずみと田舎にあこがれる都会のねずみが住処を交換して過ごしてみて
やっぱり、自分の個性・好きな場所が住む場所だと納得するような話。

小さな頃に学校で紙芝居で読んでもらって、とても、印象深かったお話し。
「好きなもの」で自分の生活が作られる。それが、心に残った。

たしかに、好きで祈って、好きで御言葉を聴いて、好きで神様を信じて生活をしている。

しかし、時折「比べる病」が不意に訪れる。
わたしこんなでいいのかな。
みんなみたいに何か持っているものがない。
役に立ってるところがない。
自分が何か役に立つようなことが・・・・ないな。

自分の視点で見えるもので考えてしまう瞬間が比べる病。

田舎のねずみは、都会に行って自分の好きなものが何なのかを知ったのだが、
わたしはどうやって再確認するのかというと、神様に尋ねてみる事で確認。

「私、神様今こう思っているんです。神様はどう思いますか?つまらないですか?面白いですか?」
返ってくる答えは
「つまらなかったら、ここまであなたにチャンス与えないよ。」
「たしかに。笑」

自分の好みは神様が御心をおいて好きになる考えを下さると最近知った。
考えの方向と次元がちゃんと神様の御心に合っているかどうかが気になるところだけど、
神様に、自分のことをいろいろ訊いてみていくときに神様と自分、一対一に自然となる。。。

そうしていると、あれ?さっきまで気になっていたことがどこかに行っている。となる。

昔は周囲に合わせようとしてストレス性の頭痛や胃痛持ちだったけれど
摂理に来てから、よくマイペースだよねと言われるようになった。
それが、面白いし、ちょっとだけ嬉しい。

しかし、それでもふと訪れる比べる病。
自分の存在をどこにおけばいいのかを再確認をする時だと今は思う。

摂理で神様と自分という関係を教えてもらって、お祈りと御言葉を学んで
自分が実際、その通りにやってみて、神様を知っていく時に、
比べる渇き、自分の中にある不安が霧のようになくなる。

目に見えない心目に見えない考え
確かに働きかけて下さる神様という存在
その存在が太陽のように、不安という霧を消していく。

比べる必要もなく、一人ひとり違う事が神様の喜びなんだなと。
神様の心が感じられる。
私が神様に向かう事、それが、自分らしく生きる事だと再確認をする。