偏頭痛で天気予報。

今夜から明日にかけて激しく雨が降ると気象情報。

やはりそうだったか~と思いました。

昼下がりから暗雲が空を覆ってきたのと同じくらいに偏頭痛がはじまったからです。。。

気圧の変化で私は偏頭痛が起こるんです。

以前、偏頭痛対策で「ナッツ類を食べると良い」と知ってから
結構ナッツを意欲的に食べていた時期は確かにあまり気にならなかったのですが
ナッツはわりかし高価なため、ちょっと手を出すのためらって食べなくなってたからか
今日は偏頭痛で天気が下り坂になることを察することができました。(いいのか悪いのか)

やはりナッツは有効な偏頭痛対策なのかもしれないです。
あと、紅茶もいいそうですよ。

この二つ確かに最近ご無沙汰でした。
というわけで、今日のおやつはナッツでした。

人によって体質等であう合わないもあるかもですが、
参考までに^^

指摘とアドバイスのちがいについての考察。

ちょっとしたぼやきです。
摂理に来る前も来てからも感じる事ですが・・・
指摘とアドバイスは似ているようで全く違うと私思うんです。

指摘している人は分かっていないから教えて上げたのだというスタンスなのかもしれないけれども

指摘はただ見たままをいうだけであって、アドバイスではないなと思います。

わたし、中学生の時にウツだった時があるんですが死にたくなる気持との戦いの時に
頑張れといわれたり、死なないでねと言われてもじつは逆効果でもっと落ち込んだのを覚えています。
それと似ている。。。とかんじました。
目いっぱいしているのに、もっと頑張れと言われるとか
目いっぱいしても、あまり出来ていないことは自分自身が一番わかっている。
そういう点を安直に言われるとキレますね心が。プツンって。。。

 

分かっている点を言われると、その親切?な気持ちを汲み取りかねる・・・。
正直私の血気にギアが入ったのでサタンとの戦いをお祈りして何とか心が整理できて
私の気持ちはおいておいて、目的を成すためには割り切るしかないそう思いました。

 

目的は目的だ。
チョンミョンソク先生が、ジョウン牧師がいろんな力が抜けるような出来事があったとしても
立ち上がるのは目的がぶれないからだなと改めてお二人の精神力と信仰にリスペクトです。

話がずれましたが、そう指摘は「見たままのことを言う」だけであって発展性がないです。
アドバイスは「こうしたらイイよ」という提案・方向を示されることであって発展性があります。

自分が一番わかっている所、苦しんでいるところを
どうにもできないから苦しいのであって・・・
心配してくれて「頑張れ」とか言ってくれる気持ちであっても、
事態が改善されないことを簡単に言うのは本当にやめてほしい。そう思いました。。。

人にしてほしいと思ったことを人にしてあげなさいとイエス様がおっしゃったのを思い出しました。

また、こういう気持を私は与えていた事があっただろうなと。
ただ指摘するようなことを私もしていたことがあったことを気づいて直そうと思う機会になりました。

祈ってありのままを神様に告げて行くときに荒ぶる心が落ち着くのを通して、やっぱお祈りっていいなとかみしめつつ
指摘とアドバイスちゃんと区別して、心が生きるアドバイスができるような人になりたいと願い求めています。。。

何を言いたいかというと、アドバイスと思って善かれと思って言ってることが相手を苦しくしていることもある。
そういう事もあるので気を付けてください~
ということと、

アドバイスとは助言・忠告だとコトバンクに載っていますが、
助言とは「助けになる事をそばで言うこと」とのこと。
つまり、助けとは、「事態が改善される・解決される・答えがある」ところまでを言う事ではないかと思います。
ゆえに、答えと結果が手に入らないことは「ただ現実を突きつける」指摘といえる。
これがアドバイスではない一言に苦痛を受けた私の考察です。