和睦をあじわう。

これ奇跡だと思う。
摂理に来る前は、傷つくよりは一人でいる方がいいと思っていた自分。(人をさけて山の中に入って仙人みたいに生きるかと思ったりもしていた(^_^;))
個性と考えが違う人たちは理解しあうこと到底無理だろうと思っていた自分としては、和を成しにくい心・事態が起きているのに、それが解かれるっていうのは奇跡だと思うしかないのだ。。

自分の矛盾を認めて直しなさいという御言葉で一つになりにくい私と妹君が対話で和睦。
自分のことを話すこと抵抗感があったメンバーが和睦(対話)の食事会で自分のトラウマが癒されたという証。
やり取りで傷ついて苦しくなっていたことを告げて、解かれた自分。

自分の思いを伝えることって大事だなと思った。

真実な対話だとおっしゃったが、本当にそうだなと思った。

真実な対話には、相手を傷つけようとするような思いとか、自分がひたすら我慢するということが無いということを体験した。

重苦しかった心がなくなる・・・・
滝のそばで爽快な気持ち良さを感じるっていうの確かにその通りだ。滝1

先生の絶妙な表現「滝の様な和睦」まさに!!!と実感中。

そして、もがきも夏の部活練習みたいに実行中。
夏の終わりには新しい次元が見えることが楽しみなり。

滝3

夏の木陰のすばらしさよ。

ランニングの時間が朝少し遅い時間におこなったら夏の日差し全開に浴びることに・・・。

日差し

じりじりと肌が焼けること感じつつ、シューズの底裏からアスファルトの揺らめく熱気も確かに受け取りつつ・・・。
走っていく。
一歩、一歩けり出して前に行く。
蹴りだす意志をはっきりと必要なのがこの上下の熱の圧迫ゆえ。

しかし、

桜並木の木陰の下を走ると、上から下から来ていた熱の圧迫がいっきに無くなった。ランニング1

つつましやかな緑陰の風を心地よく感じながら自分も風と一緒になって走っていく。

 

 

先生が以前教えてくれた。
神様を信じる人生とは夏の照りつける太陽の中木陰に入るようなものだと。

どれほど生き易いのか、
自分の力をより良く出すことが出来る上に、

自分の進む方向が神様の願いと一つになっているならば、どれほど楽しいのか、それを感じるランニングになった。

ランニング2