心理と真理そして、それをつなげる心のアンテナ。

摂理つまんねーって思っている人がいると、たまたま小耳にはさみ、
おぉ、それはある意味、正直な感想いいね!と思いました。

やりたいことがない。
自分からやりたいと思えない。
しなければならない。だと、本当にクソつまらないです。
それって、摂理がどうこうというよりは、当たり前の法則というか心理。

一日と一年、一生と永遠。
肉体と時間は限りがある中で何を残すのか?
ただ食べて寝るだけならば、動物と変わらないというか
面白いこと、楽しいことも、はかなく、虚しいとか感じる時ありませんか?

虚しくない心、どうやって生じるかというと。
永遠を知って生きること。
心が、「真理」に結びつく時、虚しさは消え去って、面白さを感じ始めるんですよね~

神様の真理によって、
人間(自分)の存在意味と人生の目的、答えを知って生きていても、
その答えを、実際に自分が行なってみた時に、味わえるな~と思います。

 

<実践>は自分をもっと自由にする。
2017年1月3日 キリスト教福音宣教会-摂理 チョンミョンソク牧師による明け方の箴言

 

↑永遠に結びつく実践が肉体・時間という有限を超越するんだな~と感じる箴言。
自分が何を行なうべきかは、
それは、OnlyOneってやつなので、
つまんないと思う時は、まさにちょっと立ち止まって、考えるチャンス。

 

だーれにも会わない・合わないとしても、神様はいつも自分の隣にいます。
だから、答えをもらえます。

目に見える世界で面白いと思うことがあっても、
それらは結局一瞬の出来事じゃないですか。

見えないけれども永遠かつ絶対者なる神様。
答えを、一人ひとりの心に確実に個性に合わせて、味わい深くかーなーらーず与えてくださいます。
受け取れるかどうかは、受信アンテナを心に設置するか否かにかかっておりますが、
万物だったり、状況環境、全てを通してメッセージを送ってくれます。
本当か嘘かは、やった人しか分からないってやつです。

 

自分の心は自分のものですし、
自分の人生と永遠は神様と二人三脚でつくる時、面白く楽しいように創造されているので、
そういうわけで、自分からそれに挑戦してみるときに、感じられます。

 

自分の心はみずから、つくるものなんだな~としみじみ思います。

 

全能なる神様に尋ねてみて、
永遠を教えて・見せてくれる御言葉を考えて
やってみるか、やってみないかは自分次第。

 

まずは神様にメールかラインをするごとくに訊いてみること。

スタンダードに祈るのもいいですが、
PCで文章つくるのもよし、
ケータイ・スマフォ等で文章にするのもいいです。

いろいろな方法で、リアルな心を神様に送信できたらいいのです。アンテナ設営。

実践しようとして、わかった現状。

「鉛筆の先で刺すよりは、鉛筆のもつところ、横で触るように伝える事」
を実践しようと朝、意気揚々と出かけたのですが。。。

まず、現状自分がもっと心を磨かないと、実践出来ない。という現状を目の当たりにしました。

相手がどうこうというよりは、自分の血気が問題。

自分の捨てるべきもの・削るべきものを見させてもらいました。
噛み合わなければ、私がもっと自分を削って受け止められればいいんだな~
今は出来ていないけれど、そこ目指そうや・・・ってことですね。と感じました。

相手が、私の気を害そうとは思ってはいないのに、
勝手にスイッチがはいる瞬間がはっきりとわかり、これは、完全に一人相撲。
もっと自分の主観を壊さないとな~と思いました。

「自分を作ってこそ問題が解ける」を痛感する1日でした。

鉛筆の先で刺そうとする事は、しなかったので、ある意味そこは○
しかし、鉛筆の芯を抜き取っただけな状態。
鉛筆の芯を抜いても、その棒状を相手にまた向けているならば、不意に挿す恐れがあるのを感じました。。。

鉛筆の横で触る・・・相手が自ら自分の気づくべきことを気づけるように促すことに至るような伝え方
これを実践できるようにするには、
とことん、傲慢・血気を無くさなければならない。
と、私のレベルが分かったので、

実践したら、問題が解決する。

繰り返して考えて、

主の品性・天の品性を求めて実践。
答えは自分が行なうこと。心に染みます。感謝です。