家に帰ったら母が久々にキレていました。
わりと昔から夫婦喧嘩はしていましたがここ数年は穏やかになりつつあったので、珍しい。
「ぷりぷりざ衛門だねお母さん。」となごやかに挨拶をしたら、
ここぞとばかりにイキサツを話して下さいました。
第三者的には、父に明らかに問題があるなぁと見受けられたので「そりゃ怒るわ~」と相槌を打ちつつ、わりと呑気な父に今日から母はストライキに入るという決意表明がなされていることを通達。
「ぷりぷり最高潮だよ~こりゃ本気だよお父さん。お母さんの気持ち、いかばかりか考える時が来たのでは。」と話しながら、それぞれ夕飯を自炊することに。
父は、トーストとご飯と牛乳と納豆とキムチという、主食と主食とサイドメニュー。
なかなかハイセンスなアンバランス。
つい見かねて、かき玉スープの差し入れをしました。
そんな両親をみながら、ふと旧約聖書の英雄ダビデの夫婦喧嘩を思い出しました。。。
ダビデが神様に感謝の思いを全身で歌って踊って、服がはだけてしまうくらいの極の表現をしましたが、それを見た妻ミカルは冷やかに軽蔑をしダビデに皮肉まで言いそれ以来、ダビデはミカルに近くすることはなく、ミカルは生涯子供はなかったという表記があります。
夫婦喧嘩って理解出来ない事や、理解しようとしない事が原因なのかもしれないなぁと両親やダビデ夫婦を見ておもうのですが(あくまでも子の視点で恐縮であります(^_^;))
ここで教訓的なのは、
決してダビデは、民のウケを狙ってあきら100%みたいな宴会芸をしたわけではない(私は実際あきら100%さんのその裸で股間を銀のお盆で隠すというハラハラする芸風をまだ見たことがなく、歌丸師匠があきら100%さんの芸をそのようにおっしゃっていたコメントより引用しております)のですが、お嬢的な育ちのミカルは「君主としてなんというあるまじき姿!」とダビデの行動を理解しがたかったという点です。
ミカルは(おそらく)信仰がなかったんだなぁと思いました。。。
もし、ミカルにダビデは一国の王以前に、神様の前に忠誠を尽くす信仰者なのだという理解、そして信仰の観点があれば「うちの旦那、カッコイイ。」そう思ったはずです。
人の目よりも、全能者神様だけを見ているその姿に、「天晴!(というかhalleluiah!)」と惚れ直すと思うんです。
また神様の前にどうあるべきか?ダビデの良い所を様々学ぶこと多いですけれど、神様が善しと認めた人に対して、正しい接し方をするか否かによって自身の運命も変わってくる。そうミカルの一生を見て心切なくなります。。。
わたしの父と母は、まだ信仰の「し」の字もなく、ただの心情トラブルなんですけれどね。
ちょっとダビデとミカル夫婦のことを思い出しちゃいました。
そんなわけで旧約聖書もっと読もうと思います。。。
参考聖句:口語訳聖書より抜粋
サムエル記下 6章 16節
主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。
サムエル記下 6章 20節-23節
ダビデが家族を祝福しようとして帰ってきた時、サウルの娘ミカルはダビデを出迎えて言った、「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。
ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。
わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。
しかし私は、あなたがさきに言ったはしためたちに誉を得るであろう。」
こうしてサウルの娘は死ぬ日まで子供がなかった。