知っていることが多いのが先生なのか、知らないことを解るように教えるのが先生なのか。
どっちなんでしょうね。。。。
とある新書を読んだんですが、ふと改めてそう思ったんです。
沢山のことを知っていらっしゃるから、その知識を上げるだけで一冊出来上がるのはすごいこと。
しかし、その知識が現在進行中の人生にどのように結びつくのか?それが見えてこない。。。
それは私のレベルの低さなんだろうなぁ。と、読むのを途中でやめました。
この本が売れているか?というとそうでもなく。どうやら私のような読者が多いようです。
いろんな先生がいますよね。
以前、「君たちに数学を教えるならば、猿に教えたほうがいい」と言われ、数学が完全に大嫌いになった思い出があります。公立でなく私立の学校に勤めているのに、そういう言動がでるってどういうこと?そもそも、猿に教えたいってどういうこと?猿回しに転職願望?などなど、理解に苦しむのは自分に国語力が乏しいせいなのか、いまだに意味が分かりません。(結局その先生はやりたいことがあるといって学校去って行きました。)
こういう思い出があったからか「先生」という存在に出会う度に、自然と自動的にふるい分けがされるようになりました。
「ちゃんと教えてくれる先生」なのか
「教えてくれない先生」という職業をしている人なのか。。。。
そんなわけで、
ワタシの人生に必要な事を教えてくれる場合は「先生」呼び
教えてくれない肩書きのみ輝いている場合は「センセィ」と呼んでいます。
出来がよくないわりに生意気なヤツと思われるかもしれませんが、先生と呼ぶかどうかはこちらの自由。
肩書きにだまされて傷つきたくないなぁ。と、心を守るための防波堤をつくったんです。
さて話がちょっと変わるんですが少し前に、塾の講師をしているんだけど生徒から指名をされるようになったんだぁ
と、ある摂理人がその理由を話してくれたことがありました。
算数が苦手な子だったそうです。
いろんな人が教えてあげたそうですが、なかなかむずかしかったようです。
その子を普段担当している方がお休みで代打で教えた時に、「解らないことを解るように教えてあげられなくてゴメンね」と言ってあげたことから、その子は「あの先生がいい!!」って言って、ご指名をいただくようになったそうです。
その話を聞いて、チョンミョンソク先生の姿がそのメンバーと重なりました。
チョンミョンソク牧師が何で「先生」って呼ばれるのか、そういうことなんです。
どうして聖書が神様から自分に向けられたラブレターなのか。
なぜ自分が貴いのか。
等身大に、心に響くコトバで、教えてくれる先生。
しかし、「みんなの先生」ではなくて「私の先生」になったのは
結構時間がかかりました。。。
なぜならば、私は極度の人間不信だったからです。
チョンミョンソク先生がどうこう以前の問題で
摂理のメンバーがどうこうとかでもなく、
摂理に、チョンミョンソク先生に出会う前に
人間不信になる原因こまごまイロイロありますけれど、長すぎると読んでもらえないと思うので3つに絞りました。
エピソード1.祖母劇場による弊害。
人間不信の痛手のひとつは祖母が作り上げた「嫁いびり劇場」です。
最小コミュニティー「家族」で色々とイタイ思い出ありますが、人間不信の根幹はこれによるところが大きいです。
父は長男。
母は嫁姑問題でかなり苦しい・ツライ思いをしてきました。
バブルがはじけたぐらいの話題でよく「長男の嫁だけは避けなきゃね」「同居はNG」という声が聞かれましたが、
まさにその通り!その通りですよ皆さん~って小学生ながら心底共感していました。
「え?おばあちゃん今なんつった?」みたいな耳を疑うしかない
母についての陰口というかドラマ仕立てな嘘を、祖母は日々アップデートしていました。
たとえば・・・・
「家事を全くしないから、わたしが全部代わりにしなければならない」(3人の子供育てながら母はフルタイムで働きつつほぼ完ぺきに家事をこなしていましたが、時々漏れてしまう家事のいくつかを祖母がしたことの誇張表現)
とか
母の日にプレゼントしたモノを受け取る時は笑顔で「ありがとう」といいながら「こんなものいらねぇ」といって誰かにあげて「何もくれやしない」というだけでなく父の弟のお嫁さんがくれる物は「悪いねこんな良い物もらってウチの嫁は何もくれないからありがたい」といったり・・・
母や私の前ではニコニコしていながら、母がいない場所では別人28号的に女優さながらな演技、涙ながらに母にこんな酷いことをされたと迫真の訴えなどを電話だったり、近所の井戸端会議だったり、さまざまな場所で舞台を踏んでいました。
最近は耳が遠いので全く電話に出ることはないですが6年ぐらい前に見た時の電話対応で「耳が遠くて聞こえんですよ。わりぃね。」と弱弱しく申し訳なさそうに謝りつつ受話器を置いた瞬間・・・
「誰だかしらねぇが・・しゃらうるせぇ。かけてくんなッ(本当にうるさい掛けてくるな)」と
年輪の貫禄、ドスと気迫一瞬で180度変わる早業芸に驚き通り越して感服しました。
そう祖母のすごい所は、優れたストーリー性のある展開と主演女優賞を受賞してもおかしくない大竹しのぶ的な演技力。
「日常が舞台」な女優である祖母は近所や親戚などに話しまわって(というか演じまわって?)すっかり母はテレビドラマに出てくるような極悪女・鬼嫁のレッテル貼られまくり、公民館の集会に集まると後ろ指刺され、祖母の話をそのまま信じて聞く耳は無い父の弟から母はぼろくそに言われ、いわゆる針のむしろ。
母は家を飛び出したかったはずだけど(私が覚えている限り「もう無理」と夜中父と話しているのを聴いた覚えが4回ほどあります)子供たちのために耐え忍びました。
当時ネットが無かった時代でまだ良かったなぁとおもいます。。。
もしネットが使えたならばブログやらツイッターやらYoutubeなどなど様々発信したであろうと思います。
そういうのを見て育った孫の一人、私は長女でした。
「跡取りだから。」という理由をいつも付けながら何かとちやほやしつつも、影では「男じゃないから」と母含めて人権無しでした。
そんなわけで10代になる前から、人間の恐ろしい二面性・人間の深い闇とで何が虚偽と真実が分からなくなる日常に精神がやられました。
そんな私にとって、チョンミョンソク先生がどうして私の先生になったのか?
先生が講壇に生ける花を造花にしていた時期にさかのぼります。
私が摂理に出会ったころ、すでに先生は韓国にいらっしゃいませんでした。
先生に私は直接会ったことがなく、日々先生が送って下さる動画を視聴していました。
その頃はリアルタイムで時々つなげられる時もありました。
中国にいらっしゃった時、先生は講壇の装飾セッティングをご自分でされていると動画の中で話されていました。
お花も先生が生けていると聴いたのですが、造花でした。
生花が朽ちていく様子が、
人の心が変ってしまう様子と重なるから・・・。
生花を飾れなくなった理由をあるお姉さんから教えてもらいました
先生のことを慕っていた弟子だった方、しかも一緒に過ごした時期がかなり長い方から悪口を言われ、訴えられていると。
生花の方がずっと素敵なのに、生花を飾れない。
その先生の心を知ってから、どうか心が癒されますようにと先生の為に祈りました。
人から裏切られて、人をまた信じることは簡単ではないことは少なからずわかるから。。。
ある時、先生が山で採った花を豪快に講壇に飾る日を見るようになって嬉しかったですが、その日々はそんなに長く続かず
元弟子だった人達を通して、先生は花を飾ることも出来ない場所に行くようになりました。
苦しくて自殺をする人もいる、そんな場所にいらっしゃるようになって2年が経とうとするくらいの時に先生がぽつりと漏らされたこと
「太い針を爪の間に刺し通すような辛さだ」
これを聴いて、私も自分の指に太い針を刺そうと思ったんですが、普通の針でもかなり痛い。
そして針を抜いた後もその痛さが数日続くぐらい痛い。
じゃ、太い針ならどれだけ痛いんだろう?
ふつうの針でもその痛さを分かっているならば、太い針を刺さなくてもいいと止められる感じがして、結局太い針は刺さなかったんですが(ただの逃げの言い訳)、先生は「そういう場所」でどんなふうに生活されていたか?というと・・・
その場所に行く前とまったく、変わらなかったんです。
なんども
なんども
なんども
繰り返して、
わかって行えるように、神様の愛と真理を教え続けて下さったんです。
正直、私は先生の説教が長すぎてよくわからないと思うことがありました。
先生が何で立ったままで2時間以上も話すの?座って話してもいいんじゃない?
スカイプであらゆる国の人と面談したり、説教を伝えたり、先生が一番大変なのに、どうしてそこまでするんだろう?
もう少し、自分が楽に生きるように調整・スケジュール決めることもできるはずなのに・・・。理解できませんでした。
しかし、先生とまったく連絡がとれなくなった10か月間(中国での拘留)を通して、身に染みるように分かるようになったんです。
私たちに必要なことだから、私のために最善を尽くして伝えていたんだって。
常に新しく次元を上げて説いて下さることをただ聴くことに慣れ切っていたから、その価値が分からなかったんです。
過去の記録した動画を見るしかない状況になってから
「聴くだけじゃだめだったんだ。自分が実際行なってこそ、意味が分かって価値がわかる話だったんだ。」
どうしてもっと速く実践しなかったんだろう。。。
音信不通になってから、先生の伝えて下さった内容の意味と価値を知るようになった自分が本当に情けなくて、
先生の説教が長いなと思った自分が恥ずかしくて、申し訳なくて泣きました。
先生は、声が枯れていても、頭痛がしても、動画を送って下さっていましたが、文字通り自由がないその場所に行かれてからも同じく、熱が出ても、疲労で具合が悪くても、自分の全てを犠牲にして
「紙とペンがさえあれば記録できる。だから幸いだ。」
そうおっしゃって、ペンだこが何回もつぶれて手が腫れ上がっても、熱と頭痛がひどくっても送り続けてくれました。
物的な証拠としては先生が書き残した原稿とペン、様々あります。
先生に会った人その場所の職員の方も証言してくれるはずです。
まず疑え。
その笑顔には裏があるはず。
そんな風に反射的に考えてしまうようになっていた私にとって、先生は晴天の霹靂のような存在でした。
人間に絶望するしかないような経験を何度もされているのに、どうして人を信じられるの?
それは人間を作った神様を絶対に信じているから。
先生の信仰は、絶対実践の上の絶対信仰だと痛感しました。
チョンミョンソク先生が「私の先生」になったのは、この部分でした。
先生ご自身が汚名を着せられることが悔しすぎて、泣きたくないけれども、涙声になっていくその声、それでも笑顔を作ろうとしている姿、精一杯それでも笑顔を作ろうとしている姿を私は一度見たことがあります。
(その涙の理由を知ったのはかなり後でした。)
先生がよく仰っていました。
「神様は本当に善い方なんです。」
神様って恐いって思うでしょ?でも神様は人間がどんなに悪いことをしても、
愛しているから人間を見つめ続けるしかないそんな大きな愛なんだよ。
そう教えてくれました。
先生はその神様から何をしてもらったのか?というと劇的な億万長者になったわけでなく、
真理と愛を知った事で人生が変わったから、その喜びで神様の愛と真理を伝えて生きるのが甲斐だと話していました。
でも先生をみると、どうしようもなく大変な生き方をされているように見えます。
むしろ「どうして神様?」と思ってもおかしくないくらいのことが先生の人生を見ると多い気がします。
10年刑が決まった時に
「神様、・・・・私は罪びとですか?」
「神様 私のことを愛していますか?」
そう呟いたそうです。
神様の返答は
「あなたが罪びとでないことは私が知っている」
「あなたを愛している」
その返答があったから
人が自分のことをどう見ても構わない、
ただ最後まで神様の真理と愛を一人でも多くの人に伝えよう。
そう決心されたそうです。
この話はかなり後になって先生ご自身が教えてくれました。
話がまた私のことにもどりますが・・・
祖母は母だけでなくて、その日の気分でそのターゲットは毎回変わって様々ににありえない言動を繰り広げられました。
文字化するには面倒な量なエピソードによって凝縮されたキモチを一言になるべく攻撃的にならずに表現するならば、「嫌だから今日やめます家族。ってことが出来たらよいのに。」でした。
私の人格の無さが露呈してお恥ずかしい限りですが、
「自分も他人もいつ考えが変わるのかわからない。人間ってそんなもんだ。
希望を持てるような存在ではない。」そう達観し、人生をよく生きることなどできないんじゃないだろうかと諦観が染みついてしまったので、神様が人間を作った理由も「愛しているから」と言われても「いや、大変な思いをしているよ人間も神様も。どうして作っちゃったかな?」と10年近くたってもその愛がよく分からずにいました。
そんな私だからこそ、
どこだとしても命を懸けて伝え続けるチョンミョンソク先生のその変わらない姿見る時に、
人類の希望を見出さずにはいられないんです。
人に裏切られても、人を信じ続けることってむずかしいのに、その上その場所にいるだけで苦痛を感じるしかない状況・環境なのに神様の愛を伝え続けられるって奇跡。
そして、やみくもに「信じろ。信じろ。」というのではなくて、神様が本来、人間に下さっている善、愛、義、いわゆる良心といった類いのいわゆる「良い心・善い考え」をどうしたら持つことができるのか?
それを具体的に、毎週教えてくれるんです。
昔と同じことを話してくださっているようでもより、表現や内容がグレードアップしています。
教える先生は、手書きで校正までしているからどれほど大変だっただろう。。。
神様の愛を本当に知っている方は生き方が違う。
そう言い切れます。
去年になりますが、LINEニュースで武井壮さんが「体育会系の上下関係が逆ならば人間性が育つのではないか?」とツイートしたことが話題になったことがありました。
「体育会系の部活なんかで上級生が下級生に雑用させたりするのが慣習だけど、逆にしたらすごい人間性育つと思うわ。上級生が水汲みしてあげたり、道具の片付けしたりすれば後輩は先輩をより尊敬できて、先輩は社会に出る準備もできるし思いやりを持てる。誰かにやらせるより誰かを思える選手になれる。」(武井さんのツイッターより)
・・・先生を思い出しました。
わたしは先生に直接会っていませんが、
一人ひとりにマスをさばいて食べさせてあげたり
ぶどうや、りんごなどを手渡してあげたり
先生のお誕生日祝いのお餅なのに、自分の分まで配ってなくなってしまったり
その姿を
映像でみました。
当時を知る先輩方のはなしで知りました。
わたしは直接まだしてもらっていなくても、
同じくしてもらった気持ちになるのは、
チョンミョンソク先生から学んで、そのようにしようと思った先輩たちから、してもらったことが沢山あるから。
先生が書き送って下さるそのメッセージにいつもその真心と切実な心情を感じるからです。
きれいな言葉を言うのは簡単だけれど
行なうのはむずかしいですよね。
この世の地獄と言われるその場所で
行ない続けている方の姿を私は見たので
赦しとはなにか、
救いとはなにか、
全身全霊を懸けた
その言葉と人生に私の心は正されるしかなかった。
先生を通して神様がくださったメッセージを行なってみると、そう思うしかないんです。
知らないと、話さないと誤解するように、祈りで神様と対話しないと神様を誤解するよ。
そう教えてもらったとおりに、神様に解けない自分の心と自分自身の考えの問題について祈り続けたら
祖母のことを可哀そうな人だったんだなと想えるようになったんです。
生き方を通して教えて下さるチョンミョンソク先生に出会えたこと。
人間の持つ本来の「良い心」を信じることができるように導いてくださった神様に心から感謝します。
エピソード2.
女の悪口という戦場。
人間不信にさらなる拍車がかかったのは摂理のメンバーに合う直前でした。
短大時代につるんでいたグループの中で、女同士の醜い見栄と嘘と悪口の応酬が毎日毎日繰り広げられました。
悪口は6人ほどのグルーブの中に仲が悪い2人がいて、はっきりと対立していた時はまだ笑い話でしたが、
考え方って飛び火するんですかね「あいつムカつく」ということをその相手がいないところで言い始めたり、それに同調する人と盛り上がり始めるようになり・・・・
ニコニコ仲良く一緒に昼ごはん食べていたと思ったら、見えないところでは便箋にびっしりと相手の悪口を書いてその話題で結託したり、盛り上がったりしているその姿を見て、
一人でいたほうがマシ。
そう思いました。
精神的な戦争で、
戦争の無意味さを痛感しつつも
自分を守るのに精いっぱいでした。
殺し合う戦争。
その場所にいて、「命を救おう」ってその行動までできたチョンミョンソク先生ってどれほどだろう。
先生の弟さんヨンソク牧師はこう話されています・・・・
「当時、ベトナム戦争に行くというのは、死んで帰ってくることでした。
だから、家族総出で祈りました。
しかも、2度行くのはまれです。
戻ってくるのが難しいのに、二度行ったのです。
先生は無事に帰ってこられたのに、再度行きました。
ベトナムに着いてそうそう中隊長に「早く韓国へ帰れ」と言われたそうです。」
どうして二度ベトナムへ行ったのか?
それは自分が戦場で神様の願うとおりに人を殺さないで戦ったことで部隊の戦友の命が守られる奇跡を見たから
自分こそがベトナム戦争に行ってひとりでも多く命が死なないように奇跡を起こそう。
そういう決意のもと行かれたそうです。
チョンミョンソク先生は、激しい殺戮が繰り広げられている戦場で銃口を向けられた時に
「あいしなさい」とまさかの聴きまちがいですよね?と思うような神様の声を聴きました。
戦場から戻られた時の様子もヨンソク牧師から聴いたのですが・・・・
先生は戦場で亡くなった人たちが身に着けていた写真を、たくさん持ち帰って来たそうです。
愛する人の写真、写真は家族、恋人などの写真を持ったり、スマホの待ち受けにしていたりしますよね?
「写真の持ち主が、家族が待っているのに、戦場で死んでしまった。
その霊魂の為に祈ってあげようと私は持ってきたのだ。」
と先生は話されていたそうです。
しかし、先生は敵味方関係なく、その無残にも戦死した霊魂を思って写真を持ち帰って忘れずに祈っていたそうです。私は先生のそういう到底ありえない愛。それに癒されたんです。
エピソード3.
お先真っ暗だと思ったトラブル。
話が少しさかのぼりますが、高校生の時に部活ではなくて市民公開みたいな教室で私は「なぎなた」を教えてもらっていました。
スポーツなぎなたの指導者の資格を持っている先生と、古武道のなぎなたの最高峰的称号を持っている先生と
お二人から教えてもらいました。
ある時、教室の運営・報酬(金銭)面での意識の違いから先生同士がすれ違いはじめました。
古武道なぎなたの先生が、「本来お稽古受けるには月5千円以上は払うものなのに、そういう感謝の表れがない。」
スポーツなぎなたの先生は「市民スポーツとしての教室なので運営費(場所取り代)くらいで当たり前なので、あの先生のおっしゃることは気にしないで。」
と一向にかみ合わないので、古武道なぎなたの先生はその不満から教室の運営に尽力して下さっていた方にまで飛び火し、どうして?と戸惑いを覚えるしかない展開。
教えてもらう側としては一体何をどうしたらいいのか・・・と途方に暮れました。
「心・技・体だよ」
「気・剣・体一致だよ」
「心を磨いてこそ、技にもでるよ。」
あの話はどうなったんだろう。。。。
自分の思うようにいかない不平不満からの悪口は県の職員の方にありもしない話で電話し自分は被害者だというようなことを周囲に漏らし始め、なんだか民事訴訟が起こる気配まで出てきたので、大学受験もありますしと言って辞めるに至りました。
武道をすることで精神を磨けるんじゃないか?
ウチのおばあちゃんだけが特殊で、人生長く生きたら、成長した分、心や精神が豊かなるのが人間なのでは?
そう思って始めたので
と暗幕が降りた感じでした。
そしてこの事件のほかに
母と同年代の方から受けた精神的トラウマ事件も勃発し・・・・
人生って、人間って、本人次第だけれど
自己中心的な考えが強い自分も
こういうひどい大人になって行くんじゃないか?
そう思ってお先真っ暗だと思いました。
しかし、なんとかいい手だてないのか?とカウンセラーにかかったり、心理学を真剣に学んだり
あれこれ何かないのかと探しまくったんですが・・・
根本的に「素敵に生きる生き方」を教えてくれるものは
どうやら聖書しかないっぽい。
そこに行きつきました。
疑い深い私は、なかなか面倒くさい輩だったと思いますが・・・
バイブルスタディーと主日の説教で一つ一つ解かれていくことで、いらない考えを捨てれたり、
癒されたりして生きる力を取り戻せました。
「自分と生活をよく作ること」
摂理では、これを丁寧かつ実体的に教えてくれます。
どうしたら「よく作れる」のかを
具体的に見せて教えてくれるモノがあるんです。
それは神様の構想通りに開発をした月明洞(ウォルミョンドン)
チョンミョンソク先生は故郷(ウォルミョンドン)の開発を通してこういう風に教えてくれます。
「月明洞は<長所>も天にそびえ、
<難しい点、短所、弱点>も天にそびえていました。
神様は<長所>は生かし、
<短所>はすべてなくすように
構想なさいました。」
ポイント
<長所>は生かし、
<短所>はすべてなくす。
しかし・・・月明洞は全部が短所だったと、先生ご自身だけでなく、先生の弟さんポンソク牧師も
「水もなく、岩もなく、木もない。」ないないづくしだったと以前おっしゃていたので
長所って?一体なんなんだろう?
考え込んでしまいました。
わからなさ過ぎたので神様に訊いてみた所、
先生の故郷ウォルミョンドンにある「ラクダ岩」が思い浮んできました。
ラクダ岩は今でこそ、その形が見えるように掘り出されていますが、
先生が子供の時は、ラクダの一部分が地面からでているだけで、それが畑の作業をするのに「邪魔だから」といって畑の持ち主が割ろうとしていたことがあったそうですが「そのままにしたほうがいい」と先生は進言して、持ち主の方がしぶしぶ割るのを止めたイキサツがあるそうです。
時を経て、ウォルミョンドン開発をするようになり、その岩を掘り出そうとしたところ
持ち運ぶことも出来ないほどの大きなラクダの形象岩でした。
掘らなければ、絶対分からなかった形象岩。
大きな岩を買うことも、運び込むこともお金がかかるけれど、すでにその場所にはありえないくらいの大きな岩がすでに用意されていたということです。これが神様の構想。
割らずに掘ってみなさいという神様の与えるインスピレーションを受けて、最後まで掘るという責任を果たして得た傑作品。
ラクダ岩を通して教えてもらうことは・・・
長所とは
神様の観点・視点で見た時にこそ、見えるモノ。
そして・・・
人が神様の構想・指示の通りに最後までしてこそ考え付かない傑作品を手に入れられるんだなと思いました。
この岩をはじめ、神様が長い時間をかけて地球を作ったように、一人ひとりも実際そのようにかけがえのない存在なんだ。
そう感じました。
人間一人が存在するのには、その親の親の親の・・・と先祖が存在してこそですが
しかし、その価値がどれほどのものか、ふつーに食う寝るの生活をしているとかまったくわからず。
むしろ、自分ってなんもないな。なんて自分のこと邪険にあつかってしまいがちになるんですが
神様の視点で、自分を見るならば貴い作品。
神様は善いもの・長所を与えている。
それを自分のモノにすることそれが短所をなくすことなんだ。そう教えてもらいました。
なかなかその「神様の考え」で見ることがむずかしいですが、
自分の考えから抜け出すためには、
まず神様の考えを求めること・知ること・神様の考えでおこなってみること。
そして
神様と共に自分を作る事、開発することは
神様の与える御言葉を持って行なってみることだ。
と先生から教えてもらったことを、実際に一つひとつやってみながら確認していくと
たしかに去年より今がなんだかよくなっている。。。
だから、もう少しやってみたらまた違うんじゃないかな?
そういう手ごたえを感じるんです。
掘るところをほって、埋めるところを埋めて
石を積むことも、木を植えることも、調和。
絶妙なバランス。
それをどのようにするのか、神様に祈って聴きながら、たゆまない労苦と努力と研究。
「自分と生活をよく作ること」=第二創造を先生の姿を通して、このようにしなさいと教えてもらうんです。
自分の削るべきもの削って、
培うべきものを培って、
調和をなして生きること。
元来わたしは短所の塊で、長所などない。と思っていました。
それは、悲しいくらい希望がない考えだったし、
結局のところ、努力をしなかったただの怠け者でした。
神様と聖霊様は
「このように<作ることが難しいもの>でも、作りさえすれば、『傑作』になる。
私エホバが構想して自然聖殿を作るように、各自<自分>を作り、<自分の生活>を作りなさい」とおっしゃいました。各自自分作りの大変な部分を作ること、自分の生活を素晴らしく作ることです。
二つを必ず作らなければなりません!信じますか?そうすれば「傑作の生」になります!キリスト教福音宣教会-摂理
チョンミョンソク牧師による主日説教
「自分と生活をよく作ること」
自己開発の希望それは人生一生、自分をつくれるんだ。ってことを見せてもらって、作り方まで教えてもらえました。
三位と主を信じ、その御心の中で生きて、
<自分の考えと心、思想と性格>を完全にして、
自分の生を「理想世界」に、「天国」に作り、
自分が置かれたところを「愛」と「命」に作ることを願います!-摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の御言葉より
幸せになるためには「行ないなさい」と、力強い後押しをしてもらったので、感謝しかないです。
このようにチョンミョンソク先生はただ教えるんではなくて、その行なう姿で見る人にパワーと感動を与える方なんです。
それは、あらゆる世代の方も体験しています。
たとえば、
チョンミョンソク先生から月明洞(ウォルミョンドン)を直接案内したもらった時の感動を形にしたい!!と
80代から観光案内のボランティアをされるようになった愛媛在住の摂理のメンバー江藤さんです。
愛媛松山観光案内!
出典元:愛媛観光案内!松山の歴史探放記より
現地を訪れている気持ちになるような記事です(*‘ω‘ *)
誠実かつ丁寧な内容と各記事の〆に
江藤さんの心に響いた
チョンミョンソク先生の箴言を江藤さん自ら描いた絵を添えられて紹介されています。
出典元:愛媛観光案内!松山の歴史探放記より
人生という旅路の力となるように、人生の先輩としてエールをおくってくださっている気がします。
良いものをもらったから、誰かにそれを伝えたい。
そういう気持っていいな。と思います。
そういう気持でわたしもチョンミョンソク先生がどんな人なのか?少しでもご紹介できたらとおもい
色々な話を詰め込んじゃいました(^_^;)
ここまで読んでくださり有難うございますm(__)m