わたしは自分の考えで神様を誤解したことがあります。。。@(´・ェ・`)@
祈ったらもらえたのに、祈らなくてもらえなかったのだ
摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の箴言より
この箴言を何かのイベントの時にメッセージカードでもらったことがありました。
「もらえなかった」という、この一言が重く脳に響き、
何かわからないけれど私もらえなかったみたい。。。。と。心を重くおもーくしました。
さびしーような失敗したような何ともいえない心にとらわれてしまいました。。。。
そんな言い表しがたい心を数年引きずっている時がありました。
今では笑えるけれど。
その当時は結構深刻に悩んでいました。。。
「何をもらえなかったんだろう・・・・」「何を求めればよかったんだろう」と。
でも。
毎週教えてくださるチョン・ミョンソク先生の主日や水曜の御言葉を生活の中で考えたり、行ないつつ、自分の思っていることをぶっちゃけ私は今こう感じている!さびしい!かなしい!と訴えるお祈りをしてみたり、紆余曲折というか、山あり谷あり、というか
すごーい時間かかりましたが(^_^;)
「祈ったらもらえたのに」この一言に込められた神様の思いを感じられるようになりました。
あなたに何が必要なのか全知全能である私が知らないだろうか?
あなたが好きなものが何なのか知っている私なのに。
あなたが願えば、応える準備はたくさんあるのに、
祈りという対話であなたと経緯をつくりたいのに、なぜ話さないのか。
そういう気を揉む、思いを感じられるようになりました。
神様がどんな思いで祈りを対話を待っているのか、
嬉しいことも悲しいことも誰よりも一緒に感じ分かち合いたいと願ってくださっている
一緒に生きることを待ち望んでいる神様だと今はわかるようになりました。
でも、まだまだ私の考えで勝手に誤解したり
求め方がずれているかもしれないです。
もっと愛について学んで
神様がずーと待っている愛で神様をぎゅっと抱きしめる生き方をしたいです*。ヾ(。>v<。)ノ゙*。
全知全能なる神様と一緒に暮らす生活を教えて下さった
チョン・ミョンソク先生に感謝します。