「辛い」と「幸せ」は「一」ちがいだ。
と、星野富弘さんの詩で知ってから、その違いを幾度となく考える機会がありました。

思うに、ツライ時とは結局自分が「独りだ」と痛感する時でそのちっぽけさに打ちひしがれるという・・・

ヒトコトでいうならば
希望がない、希望の「き」の字も見えねーっていう時。

そういう時。
星野さんはその「一」の違いを見つけたんだろうなと思います。

私も見つけようと思って、あちこちほっつき歩きました

が、なかなか見つけられず

私にはその「一」がないんじゃないか?もしかして?
そう思えて来たり・・・

っていうか考えることが、そもそもよろしくないことばかりでしんど過ぎるわい。もうただマンガとか本とか映画とかそういうもので自分の頭を満たしていれば辛くなくなるんじゃないか?そう思ったりしてブックオフやら、本屋やら図書館やら映画、集められるだけのマンガ本などなどで満たしてみましたけれど、

むしろ今度はその途切れる時間が「虚しさ」の深い黄昏。

歩けないくらい、歩いてみたりしていました。
たぶん万歩計で記録したらすごいことになっていたとおもう。
足の裏の皮が厚くなるくらい歩いたから。
うっかり画鋲を踏んでも全然痛くなく、これはスゲェって思いました。
しかしそんなもの

なんにも役に立たない虚しさと、何も見いだせない自分。

もう涙なんかでないなっていうくらい心がカラッカラに乾いていたのに、
思いもよらず動かされたチョンミョンソク牧師の言葉。

それは
たぶん翻訳されても残る

「想い」にすこし共鳴する何かがあったから。

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直せないと思った、生きることは出来ないと思った
どっかが壊れた自分。

死ぬか生きるか2択ならばちゃんと生きることを教えてほしい。
そう思って、なけなしの貯金で東京に通いました。

チョンミョンソク牧師の言葉は、生きる中で苦痛、辛酸を味わったうえで出てきているから
なんか否定できなかったんです。

希望は幸せはどこにあるんだろうか?

希望など見いだせない場所でも希望をもって生きる

チョンミョンソク牧師から

教えてもらったこと

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ただ行なって

命懸けて教えてくれた方に恥ずかしくない生き方をしなきゃ

そう思うしかないんです。

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生きることは、簡単じゃないけれど

得るものがあるから、頑張ろう。

そう力をもらったから。

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