使命って一体。。。って思ったことありません?
わたしはあります。

摂理に来て、初期の頃何かの全体的なイベントの時に、初めてあった人から「どんな使命をされているんですか?」
と訊かれることが、ひとり2人じゃなかったので、面食らったのを今でも鮮明に覚えています。

今になれば、使命(任されている仕事)でどんな感じのことをしているのかで
どんなタイプの人なのか推測しやすいので、訊くんだろうなと理解できるけれど。。。
右も左もよくわからん、ぴよこだった当時、
日常生活で使ったことがない「使命」という単語に違和感を覚えたのです。

ある指導者の方に、「使命ってなんですか?」って尋ねてみました。

「天と近くなる道みたいなものだよ」

正直、霊的に幼子のわたしには、その比喩がよくわかりませんでした笑

 

 

私が摂理で初めて使命と言われるものをしたのは「献花」でした。
これだけずっと10年近くしてました。
(東京に住んでいた時も山梨から通うことになってからもしていました。)

毎週主日礼拝に講壇に花を生けること。
1週間祈りながら、どんな種類の花が良いか、メッセージ・想いを形にすることを
いろんな花屋さん回りながら探しました。

先生がどんなふうに神様に捧げるのかを教えてくれたから
それを持ってお祈りしながら花を探したり、生けたり
神様が喜ぶような捧げものになるように全力を尽くして一週間過ごしていました。

夏は傷みやすいから、毎日水を変えるのが必須だし、差し替える必要もあったり
冬は種類がすくなかったり高くなる傾向があったり
季節ごとの悩みがありました。

祈って探して見つけたお花屋さんだと、丁寧に長持ちさせる知恵を教えてくれたり
暑さに強い品種を教えてくれたり、
もう閉店時間だからこのバケツに入ってる薔薇全部もっていっていいよ。
と破格のサービスをしてくれたり

自分の「こうだろう」という決めつけがなくなるというか、
「無理だ」というあきらめがなくなるというか

「祈って、行なうこと」の威力を知りました。

たしかに、献花という使命を通して私は、天と近くなりました。

はたから見たら、ただ花を活けているだけでしょ?な仕事ですけれど

10分では語り尽くせない。
そのストーリーは誰からも共感や理解を得られないとしても、
私にとっては何物にも代えられない、かけがえのない天との思い出。

使命って
仕事云々というよりは、愛のイキサツってやつ。
そういうことなのかなと。私は今になってようやく、そう思います。