真面目な人が多い。と言われる摂理人。

真面目
[名・形動]
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。

goo辞書より

わたしは自分のこと真面目だと思っていないのですが、
バカ真面目・生真面目。という、
褒めていそうでけなしているの?的な評価が
摂理来る前も来てからも
摂理外部の方からも
摂理内部の方からも言われるので、おそらく真面目。

もし生物学的な分類で分けるならば、
真面目科 不真面目属 バカ真面目種。だと思われます。

正当な真面目ならばもっといい働き出来るのに~な~と自分でも自分の融通の利かなさに嘆く毎日です。
それはさておき、
真面目科の亜種である私から見て、
正当な真面目な摂理人に、時折、見られる
ある傾向があることを気づきました。

「上手くできない自分に申し訳なさを抱く事」
明け方祈れなかった・・・・この大事な時に祈れなかった自分に自己嫌悪・・・切腹いたす。みたいな
武士みたいに自分を打ちたたいてしまう。。。

もしくは、修行僧のごとく明け方の祈りや聖書の通読、御言葉の研究などなどしている方
「お祈りをしても、神様感じられないんです。辛いです。」と話しているのでよくよく状況を伺ってみたら
ものすごいオーバーワークしているため、肉体の疲労・精神の限界を迎えて辛くなっている状態。

バカ真面目種のわたしも武士っぽい・修行僧っぽい時期があったので
わ~わかる~

バカ真面目で、融通聴かなさすぎて上手くできない私は、
よく自暴自棄もしていました。
(今も自分の足りなさに落ち込むことありますが)その中で思ったんです

上手くできるかできないかよりは、天が喜ぶような自分なのか
それが大事なんだなと。

摂理での信仰生活は、
「生活の中に神様を迎えて共に生きる事」

なので、主従関係の武士道というよりは⇒新婦道。
自分の欲を全部無くすべく断食・滝に打たれて修行をするような僧侶というよりは、
⇒寄り添って共に愛で支えて生活をするような伴侶。

幾度となく、繰り広げたですスパイラルを通して、聖霊様が導いて下さり
だんだんわかってきました。
つまり、天と一対一

そうしたら、
失敗して落ち込むよりは、より天にとって良い姿に変わるには、どうしたらいんだろう。
うまくできるようにはどうしたらいいんだろうか・・・と研究したほうが時間が有効活用できるな・・・
と、新しい考えが生じて来たり、

一緒に暮らすんだったら、ありのままの心を話したらいいんだな。
辛ければ辛いっていうのがいいんだなと分かって、
どうして辛いのか天に話すことで、
対処をする知恵をもらうようになって、
乗り越えていく過程も全てが経緯になりました。

そんなわけで、もしかして自分、武士っぽい?修行僧っぽい?
みたいなところが心当たりある方は、
その特性を生かして、双方性な天との愛マジになって行けば無問題です。笑