講師訓練に潜入っちゅーか、参加。

摂理のバイブルスタディを伝えられる人になろう
と言う志を持った若者たちに混ざらせてもらっております。。

歳月は光陰矢の如し、わたしも気がついたら
摂理の古株に入らせてもらう年域になっておりますが…(-_-;)

行なったとおりの
摂理道
年功序列はナッシングであります。

まったく講師になんてなれないよこんな人と
自分で思ったまま

そのとおりに
時間が過ぎて今にいたりますが…

良いものは良いと
うまく説明したい。
紹介したいなあ〜。

そんな思いで一念発起であります。

質疑応答の時間に、
「この表現の根拠はどういう資料がありますか?」

と質問がでました。

確信してないと話せないから…知りたいです
とのこと。

それに対して教育担当の方の

「聞いたままの表現で自分は伝えてたので、
事実的根拠になる資料を探してみますね。
質問ありがとうございます。」

とあまりに正直な返答。

まさにこれこれ、

摂理の「カルト」とはかけ離れた
このやり取り。

威張りも、裏表もない、爽やかさ。

人格があるって大事だなあ

自分などは人格的にも
ほか様々、内外の足りなさに
やはり
むずかしいなあと正直思いますが

良いものは良いという心で

紹介、説明しないと

カルトっしょ?
とレッテル貼られたままになるのは

本気でイヤだ。

そんな思いで参加続けるです(._.)

ペテロを父に伝えました。

摂理のバイブルスタディー初級編の一つである「ペテロと魚」を伝えました。

約束はしていたけれども父は早出かつ、仕事後おでかけもしていたので若干おネムな状態。。。
いろんな意味でむずかしいかな~と思って
ソロソロと近寄り話しかけてみたところ、「お、いいよ。」というかんじで始まりました。。。

父にはじつは4,5年ぐらい前に何回か初級のバイブルスタディをいくつか伝えたことがありました。
壮年部(ご結婚されてから摂理の会員になられた方々の部署)のメンバーからも伝えていただきました。

でも色々あり、そのまま頓挫していたのです。
最近、帰省した摂理メンバーの妹によると「お父さん、聖書とか信仰とか良く思っていないから無理だよ」と言われたばかりだったのですが
父は「慈しみふかき」という讃美歌が実は好きだったり、
昨年、やまなし礼拝を捧げた時には、会場に現れていたり(これは後でわかった情報)して、
まんざら倦厭しているわけではなさげと思ったので
ま~だめもとだしねと
ふたたび心のドアをノックしてみました。

忘れているだろうな~と思ったのですが
意外や意外

 

「これ、あれだろ、たとえなんだろ。なんか前、教えてもらった話な気がする」

とおっしゃり、覚えていた!!!

 

と驚きました。

 

 

 

心のバリヤがまだあるので、まだまだこれから~かんじではありましたが
父が自分から「最近、キリストの映画を観たぞ、なんか病人を癒していた」とか話しだしたり
「キリスト」=メシヤという単語は知っていた事に、私にとっては結構おどろくべきことでした。
「そのまま文字通り信じろっていう話と、意味があるだよという話、お父さんはどっちを聴きたい?」と
究極的な質問を投げてみたら

「そりゃ、文字通り信じろってのがありえんな~」

とのこと。

 

 

私の条件・力不足のため、残念ながら、

聴いて、なんか感動したとか。
認識の転換が起こったとか、

そういうことはありませんでしたけれど、思ったより話ができることに
聖霊様の感動感化と天使たちの応援を感じました。

 

 

今年、父は来月末に退職をします。
今後何をしようかなと言っているので、

父の人生の道を御子主よ導いてくださいと祈りながら父との歩み寄りを成そうと思います。