辛い時が一番チャンス。

「辛い」と「幸せ」は「一」ちがいだ。
と、星野富弘さんの詩で知ってから、その違いを幾度となく考える機会がありました。

思うに、ツライ時とは結局自分が「独りだ」と痛感する時でそのちっぽけさに打ちひしがれるという・・・

ヒトコトでいうならば
希望がない、希望の「き」の字も見えねーっていう時。

そういう時。
星野さんはその「一」の違いを見つけたんだろうなと思います。

私も見つけようと思って、あちこちほっつき歩きました

が、なかなか見つけられず

私にはその「一」がないんじゃないか?もしかして?
そう思えて来たり・・・

っていうか考えることが、そもそもよろしくないことばかりでしんど過ぎるわい。もうただマンガとか本とか映画とかそういうもので自分の頭を満たしていれば辛くなくなるんじゃないか?そう思ったりしてブックオフやら、本屋やら図書館やら映画、集められるだけのマンガ本などなどで満たしてみましたけれど、

むしろ今度はその途切れる時間が「虚しさ」の深い黄昏。

歩けないくらい、歩いてみたりしていました。
たぶん万歩計で記録したらすごいことになっていたとおもう。
足の裏の皮が厚くなるくらい歩いたから。
うっかり画鋲を踏んでも全然痛くなく、これはスゲェって思いました。
しかしそんなもの

なんにも役に立たない虚しさと、何も見いだせない自分。

もう涙なんかでないなっていうくらい心がカラッカラに乾いていたのに、
思いもよらず動かされたチョンミョンソク牧師の言葉。

それは
たぶん翻訳されても残る

「想い」にすこし共鳴する何かがあったから。

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/VnJk2UgBkHU” /]

 

直せないと思った、生きることは出来ないと思った
どっかが壊れた自分。

死ぬか生きるか2択ならばちゃんと生きることを教えてほしい。
そう思って、なけなしの貯金で東京に通いました。

チョンミョンソク牧師の言葉は、生きる中で苦痛、辛酸を味わったうえで出てきているから
なんか否定できなかったんです。

希望は幸せはどこにあるんだろうか?

希望など見いだせない場所でも希望をもって生きる

チョンミョンソク牧師から

教えてもらったこと

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/BUTTF4lddXo” /]

 

ただ行なって

命懸けて教えてくれた方に恥ずかしくない生き方をしなきゃ

そう思うしかないんです。

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/h7QKaTe5Fyo” /]

生きることは、簡単じゃないけれど

得るものがあるから、頑張ろう。

そう力をもらったから。

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/J4h1fbdVV2k” /]

宇野君の会見をとおして自分の間違いとむずかしさを知る。

連日、1万件以上のツイートでトレンド入りをしている「宇野君」

初のオリンピック出場ながら、堂々と自分らしい演技をされるのが素晴らしく、歴史的な結果を手にされながらマイペースな飾り気ない印象的なコメント。

まさに時の人になるしかない方!ですが、その宇野選手に対して、間違った印象を持ってしまっていたことを一般視聴者の方のツイート(ぽめたに @IBDさん)から教えてもらいました。

NEWS ZEROで櫻井翔さんが、宇野選手が言わんとしていたことを自然に引き出している瞬間を紹介して下さっているツイートだったんですが、

私が抱いていた宇野選手のイメージがまったくの間違いだと気付かされました。

4年に一度のオリンピックを「特別ではない」と言い切るコメントを「大物!」「おもしろいね!」と思う方もいらっしゃれば、あまりにも動じない感性に戸惑いを感じた方も少なからずいるはず・・・というか、正直なところ宇野選手の人柄に疑問を感じるというか、好感度が低かったんです(^_^;)

なので、この方のツイートから真意を知るきっかけをいただいたことに心から感謝しています。

[arve url=”https://youtu.be/Jp5z8YImE3s” /]

宇野選手がどうして「オリンピックは特別ではない」という表現されたのか、
それは無神経なマイペースさでなはなくて
「目の前の試合に集中していけば「今」に至る」というぶれがない”ひたむきさ”からでした。

NHKが提供している3分でまとめられている会見も、最後の方(2分40秒当たりの部分)に宇野選手の実直さがにじみ出るコメントがありました。

「課題、ハビエル・フェルナンデス選手や羽生選手のようなジャンプの高さの完成度が自分には足りていないので、来シーズンに向けても、今シーズンの世界選手権に向けても取り組むべきところかなと思っています。」

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/KA644mKdamo” /]

「コトバは「思い」という氷山の一角だ」という話を昔国語の教科書で読んだ覚えがありますが、
本当にそうだなと改めて思うのと、人の話を最後まで聴くことって重要だと痛感。

そして、どこをどう切り取るかで全く違う。。。
同じ素材でも調理の仕方で全く違うように、インタビューアーはじめ「伝え手」にかかっている事も感じました。

誤解されないようにコメントする必要もあるのでは?という方の意見も確かに一理あると思いますが
宇野選手の今後に対する決意と冷静さが見える結論部分のコメントよりも、印象的なコメントをより前にだしていたり、宇野選手の一言に込められた真意を引き出すことよりも、放送されている番組で自分の意見感想を言ってしまう方もいらっしゃるその内容が、まるで選手ご本人の真意かのように独り歩きしてしまうこともあるだろうな・・・という恐ろしさもかんじ

宇野選手だけでなくて羽生選手も、みなさん演技だけでなく、緊張と精神力をMAX使った後に、こういったところにも気を遣わなければならないんだなぁと、やるせない気持ちにもなりました。

インタビューする方も、される方も、そして報道を受け取る側も。
むずかしい。。。。

思いやりというか、推し量る心。
そういうのもっと育てなきゃ自分。と省みる機会にもなったり、

報道は「切り取る」ことが前提!と知っていたのにもかかわらず、この有様。かつ

わたしの発言・発信も、誰かに「戸惑い」や「誤解」を与える可能性もある。

そういう「意図していないショック」を与えていないか?

今まで以上にいっそう気をつけよう(>_<)そう思いました。