地味な作業のさなか、派手に感動したこと。

あんなに小さかった子がこんなに大きくなりました。
といわんばかりにカモミールたちが最盛期を迎えて今摘み取りのクライマックスを迎えております。

花の部分を摘み取るじみーな作業を黙々としてます。
ただ黙々と進めると面白くないので、飲む方が癒されるように~とか。
この作業を通して私が悟るべきことがあるならば悟らせてください~とか。
祈りながらしているんですけれど・・・そんな中で派手に感動したことがあったんですよ。

そもそも、その始まりは、見分けをどうつければいいのか?と考えあぐねていた
カモミールローマンとカモミールジャーマンの判別が発端です。

見分けられたのか?結論からいいますと見分けられました!

見た目はほぼ同じ。なローマンとジャーマンは非常に似ているけれども、じつは違う植物。
同じキク科だけれども属が違うそうで、
たとえるならば中国人と日本人は見た目は似ているが、言語などかなり違うそんなかんじで結構違います。

ローマンカモミール:多年草
ジャーマンカモミール:一年草

コンパニオンプランツ「植物のお医者さん」としては、ローマンカモミールの方だそうです!
が、しかし日本では一般的にカモミールといえばジャーマンカモミールだよ。とか書かれている本もありました。
ジャーマンカモミールはネギ類と相性がよろしくないという文献もあり。。。
もしそれが事実ならば、今回私は玉ねぎに嫌がらせをしてしまったことに。。。(ネギよ後免)
私と同じく知らずにジャーマンカモミールを植えてしまう方も多そうだなぁと思いました。
いやーやはりちゃんと知るって大きいですね!
本だとしてもその詳しさの程度もまちまちだったり、また書いている人の実践歴や専門性にもよる(コンパニオンプランツとして捉えるかアロマオイルとして使うのか、ハーブティ―として使うのかでも専門が違う)とも思いました。

もともと、月一で通っているハーブ・アロマの先生から見分ける方法も教えてもらってはいたのでしたが、
その方法
葉をこすってみると香りがあるなしで見分けられるとか、
花を割ってみて空洞なのがジャーマンだ。

とも教えてもらいましたが、

今回、未発芽率に傾いたのかローマンは芽吹かず、全部がジャーマンであったという結果だったので、比べようがなく・・・・。😅

葉をこすってみてもこれがその香りなのか?確証持てず(^_^;)
花を割っても空洞ってあるような、っていうかこれが本当に空洞なのか?とか(^_^;)

どうしたもんかね~と。🙄😅

そんなわけでGoogle先生にて

育て方についてまとめてらっしゃった実体験もとにした見分け方(中心の黄色い部分が出っ張ってくるのがジャーマンだそうです。)でようやくすっきりと判別できました~

つまりはアロマ・ハーブの先生ご自身はローマンカモミールを育てたことがなかったそうで、ご自身が調べ得た本の知識を提供し教えてくださっていたのでした。

知識を伝えることも「先生」であるかもですが、
やはり納得・説得力は欠けるというか、こんな風に実用性に一歩足りないことも起こりうるよねと改めてかんじつつ、対極の

言葉より実践だ!のチョンミョンソク先生を思い出し…
目に見えない神様について、教えるってどんだけありえないことなのか・・・ちゃんと気づけていなかったことを気づくようになりました。。。。

誰しもが一度は、気になる、考える、生きること死ぬこと人生についてのこととかを
後悔も未練もない生き方を、

昔も今も現在進行形で行ないながら、命懸けで、ハッキリ教えてもらえるってありえないくらいスゴイことだなと改めて思ったのでした。

最近、拝見したその命懸けさとしては39度の熱が出ながらも(代打で誰かにしてもらって休むという選択肢もある中)説教をするところ。。。
自分すごくね?というかんじは一切なくて、
神様の御力、しるしを見せます!という、あくまでも神様ファースト。
感動ポイントとしては、声が枯れて上手く話せないとしても、肩が痛かったり足が痛かったりしても、全身全霊で伝えるところ。

こないだ読んだある本で「だいたい宗教って『~するな』ばかり言うから面倒だし嫌だ。」という一節を目にしたのですが、
聖書は「~するな」だけでなく「~しなさい」と2つ教えてくれていて、それらは永遠によりよく生きることができるためにを目的としているのと、

それを実践したら、もれなく必ず栄える!という神様がくださった祝福という約束なんですが

そういったもろもろの気になるところを

明確に教わることできるので、宗教って…と思う方におせっかいにも紹介したくなる気持ちが沸き起こりました。。。🚥🐗

宗教について否定的な観が根強いとこある日本で素晴らしいレアな体験を噛み締めつつ

味わい深く生きることを、苦痛苦労を通して説いてくれる先生がいるこのキリスト教福音宣教会は
世代も、性別も国も問わずに会員が普通に増えるわけだなと。。。納得。

私ってばもんのスゴォォオイことを教えてもらっている・・・・と震え(自分が行なわないと栄えないという現実的な震えも含め)が来て

地味にカモミールを摘み取りながら、鳴門海峡級感謝と感激の渦に派手に包まれたのでした。

最後に。

先生の人柄垣間見れる動画を紹介して終わります🎵

[arve url=”https://youtu.be/0U9I3WupNvI” /]

悪口言われて、気づいたハナシ。

非常に頑張っていらっしゃるというか、この人以上に一生懸命な方はいないだろう。
そんな方でさえ、悪く言われたら自尊心から気分悪くて怒っても仕方ないとも思うけれども、そういう怒りではないところがやっぱすごい。

そんな気づきを得たと同時に、「私の前でお姉ちゃんの悪口をいうメンバーがいたんだよ!?どういう神経しているんだろうって思った!!!」とまくしたてられたことが脳裏に浮かんだ。

その時、わたしはどうしたか?というと・・・・

「そういうこともまぁ普通にあるよね。というか、教会のメンバーから、昔から私はとくによく言われたことなんかないよ(笑)面と向かって失礼なこと言われたこともあったし、それは私に心が無いと思うから言えちゃうのかな?と思ったこともあるし、つーかむしろ悪く言われる自分に問題があるって自分でも思うし、っていうか、その人も悪く言っているつもりなくて思ったままのことを言っちゃうタイプなのかもしれないしね。というか先生があれほど確認しなさいって教えてくださっているのに、友達だと思っていたのに、私に確認もせずに、聞いた話まんまをうのみにする人だったって知って超ドン引きしたこともあるよ。」とまったく悪口を言われた当事者である私はなんも痛くもかゆくもなく。。。
私のことをいつも毛嫌いしている風の妹の方がなんか痛手を負っているように見えて不思議だった。

そんな私もむかーしむかし、我を忘れるぐらい憤ったことがある。
それは父に裏切られた時だった。
そして『怒りの根本は悲しみなんだ』となんかの本で読んで妙に納得したっけ。。。

いつも優雅で美しい方の怒髪天な様子を見て、若干(^_^;)戸惑うこと否めなかったけれども、よくよく話を聞いてみると
何がそんなに腹立って辛いのか?というと、自分のことを悪く言われたからというよりは天の心情を考えての憤りだった。
やはり、愛なんだなと思った。

誰よりも一生懸命な方が「許さないっ」と吠えるごとくに憤ったのも、妹が「信じられないッ」と言ったのも
そうか、「愛しているから」なんだなぁと思った。

つまり妹はなんだかんだと言いながらも私のこと嫌いではなかった(嫌いな部分もあるのは事実だろうが)のだなと。
なんだか意外な発見をしたのだった。

というか、私って摂理人(キリスト教福音宣教会の会員メンバー)にたいしてそんなに期待も愛着も無いのかも?
善評してくれる善人的なメンバーに癒されることはたしかにあるけれど、基本的に自分ダメだっていう考えがあるのが根強いからなのかなぁ。。。
というか、褒められたい。愛されたい。的なアダルトチルドレン的な根性が根強いのかなぁ。。。
どっちにしても、やっぱり明日も礼拝に行って神様にそこん所どうしたらよくなりますかね?知恵を与えて下さいと願い求めてくるのが得策だ。
もろもろ愛とか教えてください!とお願いしに行ってきます(笑)

傷つくのが嫌だから、期待していないのか
それとも自分を開発すべき、愛のなさゆえなのか
いずれにしても、天の心に合うのは、
もしかしたら妹なのかもしれない。

私よりもずっと心情的なんだよね彼女。
そんなことを思い出した土曜日。