自暴自棄をしたくないのに、スパイラルにはいる・・・・

昨日若者たちとランチしながら、生活を通して自分の至らなさに辛くなるというお話しを通して、負のスパイラルしていた過去を思い出しました。

そういや、わたしも落胆・自暴自棄という負のスパイラルに陥っては這い上がることを習慣的に周期的に以前はライフワークのようにしていました。。。。。

これは時間の無駄だっと。負のスパイラルは閉鎖されかつ、撤去もされたので、すっかり忘れていました。

負のスパイラルをどうやって閉鎖・撤去したのか?というと
限りのある時間を目の前にしヤバイ時間の無駄だ!と痛いほど感じ・・・
そこでどうしたらこのスパイラルを撤去できるのか願い求めたところ、
真理の剣でシュパッと裂かれたのでした。
真理の剣は完全に裂いてくださるので痛快。

バイブルスタディ~カインについて~を学ぶと
どうして自ら辛い生きた方をするのか?がわかるので、本来の生き方をするにはどうしたらいいのか?を知ることが出来ます。
つまり、本来の生き方=神様に似ること

創世記 1章26節「神はまた言われた『われわれの形に我々にかたどって人を作り、これに海の魚と空の鳥と、家畜と、地のすべての獣を治めさせよう』」
マタイによる福音書 5章48節「それだから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい」とイエス様がおっしゃっています。

チョンミョンソク先生は、イエス様がおっしゃったことを全部行なってみて、何が神様の喜ばれることなのか、どうしたらイエス様のように人を愛せるのか?をイエス様がおっしゃったことを全部行なうことで
ご自身を作られて、神様の性格に似る事が本当に素晴らしく幸せだ。
イエス様の愛を持って生きることが本当に幸せだということを痛感した味で今日も神様について聖書について教えてくれます。

どうしたら失敗を恐れなくなるのか?

「失敗を恐れない」ということが成功をする生き方だということを話している方がいた。
しかし「どうしたら失敗を恐れない」のかを教えてはくれなかった。

マインドコントロール的に思い込めば確かにそれなりにそうできるかもしれない。
でも、最初から、成功するイメージ・確証がないのにどうして「失敗を恐れない」ということが起こりうるだろうか?

私は原因と結果が結びついてこそ納得できる性質なので思い込み・マインドコントロールは適用外になってしまう。
平たく言うと疑い深い。
別の視点から見ると小度胸ということかもしれない。

そんなわけで「失敗を恐れない」という心を得たいと思うのだが、それはどのようにしてこそ得られるのか?納得できるように教えてもらいたかった。
自分の性質と精神では一度失敗したら、どうしても萎縮したり、恐い思いしたことを思い出すいわゆるフラッシュバック的な状態になり無理なので・・・

そんな自分が今日、仕事で気の遣い方が足りない事で失敗をした。
ひきずっても、何の得にもならないが、損するような引きずり方をどうしてもしてしまう。

いかん、このままでは。
と思って、お祈りをした。

「今私に必要な御言葉を思い出させてください。」と強力にお願いしてみた。

思い浮んできたのは「神様は絶対に良い事だけを予定しておいた。人間が努力して行なってこそ、それを得られる」

『絶対に良い事だけ』

絶対に良い事だけ。

良い事。

良い事ってなんだ?
成功という結果を得ること。か?
では、成功する結果とはいったいどんな原因があるのだろうか?

失敗という結果は失敗をもたらした元となる原因がある。
そのように、成功する結果を出すには、成功する原因を知るならば成功できるんではないか?
自問自答と共に、わからないことを、天に訊きながら考えていたところ・・・

成功する原因は自分の足りないところを正しく、的確に認めること。
それによって、正しく行えるように研究し、また行なってみることで失敗という過去の結果は成功という次元に上がるのだ。

失敗することを恐れる心は
失敗の原因を見ないで、失敗という結果におびえるような状態だったんだとわかった。

「失敗を恐れない心」とはまさにチョンミョン先生の精神だった。
神様の絶対予定をはっきりとわかって、正しく信じて、
地に足付いたたゆまない努力を恐ろしいほど成し遂げるまで繰り返す先生。
「絶対あきらめない」「何が何でも行なうこと」を神様に学んで行なって見せてくださっている先生の姿が答えだった。
「失敗を恐れない心」を私も培って行こう、先生をもっと研究してみようと思った。