新約時代、イエス様が十字架につけられて、残された弟子たちの上に聖霊が臨んでから「使徒の歴史」が起こるようになった。
「使徒の歴史」はどのようにして起こったのか?
「新約聖書」を見ると、イエス様が亡くなった後、一カ所に集まって祈っている弟子たちに「聖霊」が下る様子が書かれている。
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)五旬節五旬節g五旬節日(ひ)がきて、
みんなの者(もの)が一緒(いっしょ)に集(あつ)まっていると、
突然(ぜん)、激(はげ)しい風(かぜ)が吹(ふ)いてきたような音(おと)が天(てん)から起(おこ)ってきて、
一同(いちどう)がすわっていた家(いえ)いっぱいに響(ひび)きわたった。
また、舌(した)のようなものが、
炎(ほのお)のように分(わか)れて現(あらわ)れ、
ひとりびとりの上(うえ)にとどまった。
すると、一同(いちどう)は聖霊(せいれい)に満(み)たされ、
御霊(みたま)が語(かた)らせるままに、
いろいろの他国(たこく)の言葉(ことば)で語(かた)り出(だ)した。
<使徒行伝2章1~4節>
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この後、弟子たちは「聖霊」に満たされて、
「自分たちが話せないはずの外国の言葉」で語り出す。
それを見た人々は驚き、
「どうして彼らは我らの母国語で神の御働きについて語ることができるのだ?」
「私たちは様々な国から来ているのに、不思議だ・・・」
「いや、ありえない。彼らは酒に酔っているのでは?」
と口々に言った。
しかし、ペテロはこう証する。
「これは旧約のヨエルが預言したことにほかならない。」と。
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ヨエル預言者@blog2.hix05
『神(かみ)がこう仰(おお)せになる。
終(おわ)りの時(とき)には、
わたしの霊(れい)をすべての人(ひと)に注(そそ)ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘(むすめ)は預言(よげん)をし、
若者(わかもの)たちは幻(まぼろし)を見(み)、
老人(ろうじん)たちは夢(ゆめ)を見(み)るであろう。
その時(とき)には、わたしの男女(だんじょ)の僕(しもべ)たちにも
わたしの霊(れい)を注(そそ)ごう。
そして彼(かれ)らも預言(よげん)をするであろう。
また、上(うえ)では、天(てん)に奇跡(きせき)を見(み)せ、
下(した)では、地(ち)にしるしを、
すなわち、血(ち)と火(ひ)と立(た)ちこめる煙(けむり)とを、
見(み)せるであろう。
主(しゅ)の大(おお)いなる輝(かがや)かしい日(ひ)が来(く)る前(まえ)に、
日(ひ)はやみに
月は血(ち)に変(かわ)るであろう。
そのとき、主(しゅ)の名(な)を呼(よ)び求(もと)める者(もの)は、
みな救(すく)われるであろう』。
<使徒行伝2章17~21節>
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そして、ペテロは声を上げ、
人々が「無知」で十字架につけて殺した
「救い主イエス」について「証」する。
その「証」の力は「聖霊」によるものだと書いてある。
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イエスは神(かみ)の右(みぎ)に上(あ)げられ、
父(ちち)から約束(やくそく)の聖霊(せいれい)を受(う)けて、
それをわたしたちに注(そそ)がれたのである。
<使徒行伝2章33節より抜粋>
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ペテロはさらに「聖霊」に満たされて、
人々に大胆に「証」をする。
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「イスラエルの全(ぜん)家(か)は、この事(こと)をしかと知(し)っておくがよい。
あなたがたが十字架(じゅうじか)につけたこのイエスを、
神(かみ)は、主(しゅ)またキリストとしてお立(た)てになったのである。」
人々(ひとびと)はこれを聞(き)いて、強(つよ)く心(こころ)を刺(さ)され、
ペテロやほかの使徒(しと)たちに、
「兄弟(きょうだい)たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」
と言(い)った。
すると、ペテロが答(こた)えた、
「悔(く)い改(あらた)めなさい。
そして、あなたがたひとりびとりが罪(つみ)のゆるしを得(え)るために、
イエス・キリストの名(な)によって、バプテスマを受(う)けなさい。
そうすれば、あなたがたは聖霊(せいれい)の賜物(たまもの)を受(う)けるであろう。
この約束(やくそく)は、われらの主(しゅ)なる神(かみ)の召(め)しにあずかるすべての者(もの)、
すなわちあなたがたと、あなたがたの子(こ)らと、
遠(とお)くの者(もの)一同(いちどう)とに、与(あた)えられているものである。」
ペテロは、ほかになお多(おお)くの言葉(ことば)であかしをなし、
人々(ひとびと)に
「この曲(まが)った時代(じだい)から救(すく)われよ」
と言(い)って勧(すす)めた。
そこで、彼(かれ)の勧(すす)めの言葉(ことば)を受(う)けいれた者(もの)たちは、バプテスマを受(う)けたが、
その日(ひ)、仲間(なかま)に加(くわ)わったものが三千人(にん)ほどあった。
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ペテロの「証」は「聖霊」によるものだったから、
人々のふさがれていた考えの目が開かれ、
自分たちの罪を認める「御働き」が強烈に起こるようになった。
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そして一同(いちどう)はひたすら、
使徒(しと)たちの教(おしえ)を守(まも)り、
信徒(しんと)の交(まじ)わりをなし、
共(とも)にパンをさき、
祈(いのり)をしていた。
みんなの者(もの)におそれの念(ねん)が生(しょう)じ、
多(おお)くの奇跡(きせき)としるしとが、
使徒(しと)たちによって、次々(つぎつぎ)に行(おこな)われた。
信者(しんじゃ)たちはみな一緒(いっしょ)にいて、
いっさいの物(もの)を共有(きょうゆう)にし、
資産(しさん)や持(も)ち物(もの)を売(う)っては、
必要(ひつよう)に応(おう)じてみんなの者(もの)に分(わ)け与(あた)えた。
そして日々(ひび)心(こころ)を一つにして、
絶(た)えず宮(みや)もうでをなし、
家(いえ)ではパンをさき、
よろこびと、まごころとをもって、
食事(しょくじ)を共(とも)にし、 神(かみ)をさんびし、
すべての人(ひと)に好意(こうい)を持(も)たれていた。
そして主(しゅ)は、
救(すく)われる者(もの)を日々(ひび)仲間(なかま)に加(くわ)えて下(くだ)さったのである。
<使徒行伝2章33~47節>
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イエス様が生きていた時には、
「共に祈ろう」と主が仰った時にも
肉体が疲れ果てて共に祈れなかったペテロ。
「死に至るまで主と共に生きます」
と告白したのに、十字架の道へ行くイエス様を前にして
恐れをなし、「私は彼を知らない」と逃げ出したペテロ。
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心は熱くても、自分では乗り越えられない壁があった。
しかし、彼は変わった。
「聖霊」を受けて完全に「使徒」になった。
イエス様が亡くなる前に弟子たちに仰った通りである。
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「助け主=聖霊は、あなたがたに全ての事を教え、
また私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。」
<ヨハネによる福音書14章26節より抜粋>
「あなたがたは今はそれに耐えられない。
しかし、真理の御霊が来るときには、
あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるだろう。
それは、自分から語るのではなく、
その聞く所を語り、
来るべきことをあなた方に知らせるであろう。」
<ヨハネによる福音書16章13節>
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人では成せない「聖霊の御働き」。
その力で弟子たちは「使徒」となり、
主の体になって
命を尽くして叫び伝えたからこそ、
全世界に「キリスト教」の福音が広がる奇跡が起こったのだろう。
全ては神様がなさることであり、
聖書の歴史も神様が導かれた軌跡だ。
たった一人から全世界に福音を広げる事は、
絶対に「人間自らの力」だけでは起こせないことだと改めて感じたまっちゃんでした★

<聖霊>が「肉体」を使って行なうので、
人間が一人でやるよりどれほどもっと大きな働きができ、
どれほどもっと威力を持って証し、行なってくださるだろうか。
聖霊が「あなたの肉体」を使って行なって偉大な歴史を成せるように、
「あなたの心」を空け、「あなたの肉体」を聖霊様に差し出しなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ www.god21.net