負の遺産を資産にするプロジェクトの発動。それは洗脳か、と言われればそうかもしれない。

私には、マイナス遺産がある。

水田、田畑いわゆる農業とは、家業にするにはまじで難しい。。。というか、それ以前に毎年の稲刈り苦痛のうえに、税金まで徴収されるという固定資産税について知ってからは断固放棄!!と強く思っていた。

お米なんか買ったほうが安いくらいに農薬も化学肥料も高い。お金を払うならばより安いほうがいい。そう説く母に異口同音的に賛同し毎年、どうやって父を納得させるかなどを思っていた。

そう。思っていたのだが、徐々に一つの疑問が私に問いかけるようになった。
「神様の御言葉を行うならば奇跡が起こること。それは、これにも適用されるんじゃないか?」と。

というのは、私には奇跡が起こったからだ。

会員となっている団体は噂と事実がごちゃ混ぜになり凶悪事件を起こした新興宗教団体と同じだと決めつけられ虚像が出来上がって勝手に恐れられてしまっている。それでもなお、何ゆえに、いまだに在籍しているのか?というと人生を生き抜くために必要不可欠な力をもらえるからだ。(たまに内野から力を奪われるような出来事も起きるがお互い様ということで日々邁進しようと思うことにしている)

生きる力とは何か?というと、生きる意味と、原動力となる愛を知ることだ。
それを教えてもらえるから、生きていけると私は思っている。
というか、その実感が年を重ねるごとに深まること、何よりも死にたがりだった私が生きることを考えるようになったこと。
それが奇跡なのだ。

生きづらさで身動きが取れないというか、自分が嫌すぎて自分を殺したくなる。生きるには難しすぎるその考えを病院や心理学やらでは解決できず、死ぬしかないだろう。そう思っていた時期、そんな私を引き留めたのは、「私のもとに来なさい」というイエス様の御言葉だった。なので、いろんなキリスト教の教会へ行ってみたが、個人的な信仰の証は尊敬に値することはあっても私の人生を変えうるだけのパワーのある存在には会えず、また聖書に書かれている内容をすっきり教えてくれることが驚くほどない。。。意味がない言葉をなぜか残してしまったのかな。イエス様。と思うようなことが頭によぎり始めたときに、県をまたいでバイブルスタディを学び始めるようになった。

その意味を理解するまでにはいろいろとあったが、キーパーソンは摂理の総会長チョンミョンソク牧師だ。

イエス様がどうして「私のもとに来なさい」といったのか。「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いから」とおっしゃったのか。神様がイエス様を通して人類に伝えようとしたことはどんなメッセージだったのか、その愛について、行動をしながらチョンミョンソク牧師は自分の人生を通していつも伝え続けている。

イエス様がこうおっしゃったからそのように実践してみたんだ。といつも行なったことを通して得たものをシェアするように教えてくれるチョンミョンソク牧師の姿は16年前も今も変わらない。30年近く前の映像を見ても変わらない。
誰かから認められるあがめられるためにというわけでなくて、ただひたすら創造主、神様の愛と真理を伝えることに全力尽くしている。そのシンプルさが私の壊れた心を温めてくれた。

本当に面白いことに、どんなに通っても何時間も毎週礼拝で御言葉を聞いても自分が自ら祈ってみるとか、自らなんらか行わなければ何も変わらないが、逆にありのままの心で生活の中で行いさえすれば、解けないと心底思った問題も解かれたり、どうやっても変われないと絶望した自分自身が変化した。

これは自分自身もはじめ家族も驚くほどの奇跡だった。
ゆえに、
私が教会に通うことを止められたこは一度もない。

今はもうメンバーではなくなった除籍者(教会に通わないと除籍されるのである。妹の場合は教会の人全員に会いたくないということで連絡もたっているので完全な除籍)の妹も「お姉ちゃんが変わる姿を見るとほんとに神様がいるんだなと思った。」といっていた(たぶん言った当の本人はすでに忘れているだろうと思う)

イエス様が私を見るものは神様を見ることだとおっしゃったが、チョンミョンソク牧師を見るときっとイエス様はこんな風に教えてくれたんだろうな、行いながらわかりやすく人生と生活が豊かになるように励ましと勇気を与えながら神様の愛を教えてくれたんだろうなと思う。
妹が摂理を後にしたその思いや理由は何となくわかる。私もそうなってもおかしくないなぁと思うような残念さを味わうことがあったので、妹の気持ちを理解する部分があるにも関わず、どうして私は後にしないのか、くどいようだがそれはやはりチョンミョンソク牧師の存在に尽きるのだ。

その生き方と影響力は私だけでなくアメリカ、ヨーロッパといったアジアではない国のいろんな世代の人にも与えている。
本当に不思議な存在。
その方が、私に教えてくれたことは「実践すること」「愛すること」

この二つは私にとってやったことがないことなので、小さな一歩が大きい学びであることが毎度。
先日も「愛には武器がないです。言葉の武器を持つ人は、怖いからです。」と説いてくださったことが私の社会生活で大きなヒントと癒しだった。

同僚にあたる人から高圧的な態度を取られることが目に余るところがあり、一食触発というような憤りが鎌首もたげかかっていたのだが「武器で相手を怖がらせるのは、武器を持っている人自身が怖がっているからです。武器を捨てられるようにしましょう。」そうおっしゃっていたのを思い出して、よくよく観察して考えてみたところ、その同僚が恐れと弱さを抱いているのかもしれない理由を見つけられるようになり、その高圧的な理解しがたい言動も哀れむしかないような気持ちが芽生えて、どうしたら平和に過ごせるのか?を考えるようになった。
今までの自分だったら、なんなんだその言い方、どうしてそんな言われ方や態度を取られる理由が理解できない!!と怒り心頭だった。現状だけにとらわれてよい状態などを作り出すことなど考えもできなかった。

相手が暴力的な言動をするのは、その根本に恐れ、痛みがあるからであり、それを解決するのに『武器』という相手を恐れさせる方法・手段しか選べない状態だからだと考えてみると、どうしたらその「痛み・恐れ」が薄まるのか?を考えて対処していくほうがずっと平安な心に近づけることが出来た。

愛と平和。
絵空事ではなく、自分の生活から実践できる。
それを改めて感じられてそれが私の人生にとって大きな奇跡。
こういった自分には成せないことを教えてもらえたり、助けてもらえたりすることが今まで数えきれないほどある。

生きることは、年を取ることだけれど、それは悲しいこと恥ずかしいことではない。
自分を最高の作品に作ることだと一生一作。
人生一生、自分を作ることだと。

文字通り命を懸けて教えてくれる存在がチョンミョンソク牧師だ。

だから、その教えてくれたことを、私が自分の人生でとことん行なってみるならば、自分だけに起こった奇跡ではなくて、誰かの人生、地域や日本にとっても財産になる。そういう奇跡が起こるのではないか?すくなくとも

私の考えでは負の遺産どまり。だが、すべてを感謝し、神様のものとして大切に尊く見て扱うチョンミョンソク牧師の精神思想で考えてとらえてみるならば、そうではない。

負の遺産は負ではなく資産とし後世へのプレゼントになるような生き方、それって神様の祝福ではないかと。
私という小さな存在に見合った身の丈にあう行いで、負の財産を神様の祝福に変換するプロジェクトはこうして始まり始めた。

タルトタタンのように。。。

田舎の姉妹が作ったお菓子だというタルトタタン。

失敗から生じた世界的なお菓子タルトタタン。

秋になると山梨県内ではあちらこちらでこのタルトタタンがお目見えするので、その誕生のいきさつを知るようになって久しい。

タルトタタンを作りたいとは思うことはなく、食べる側で大満足なのだが
その名を聞いて誕生のいきさつを思い出すたびに思ったことがある。

失敗で終わらせなかったその想いってどんだけだったのか。。。

ざんねーんで終わせなかったのは、不屈の精神なのか。
はたまた、失敗して捨てるなんて!もってのほか、なもったいない精神だったのか。その両方なのか。。。
そんなことをタルトタタンと聞くたびに思っていた昨今。

もしかしてこんな気持ちだったのでは?と最近思い至ることがあった。
今年春にレモンジャムの簡単で美味しい作り方を伝授してもらい大成功で、これからは私の特技はレモンジャムづくりですと答えようと思ったぐらい感動的に美味しく作れたので国産レモン(できれば無農薬)が手に入るならば即買いしてジャム作ろう!と思っていた。
そんな思いを抱いている中、10月はレモンが旬なのだと小耳に挟み、県内で国産レモン、県内産レモンも手に入るようなチャンスが到来。そりゃ買うしかない。と、いうわけで前回より多めにジャムを作ってみたのだが、派手に失敗。。。

前回、無農薬レモンの皮を刻んで入れたのがものすごくおいしかったので、今回は3種類のレモンそれぞれ皮を多めに刻んで入れたところ、めっちゃ苦くなってしまったのだ。。。。

種類によって皮やワタ?の部分がすごい苦みが強いということを失敗して知った。。。素材の性質を知って作らなければなのね。。と。

ジャムとは言えない、その代物。期待と喜びで作った分、苦みの分、失敗のダメージがある気さえした。作ってから数日、直視できないというか、レモンジャムを詰めた瓶が視界に入るたびに、苦みが広がった。

あぁお金かけたのに、パーァだなぁ。。。
捨てるのもったいないなぁ。。。
自分のあほさ加減が辛いなぁ。。。
そんな思いがないまぜになりつつ、、、それでも消費しようと食べるが苦くて( ;∀;)泣きそうになる。
それくらいのジャムとしては大失敗。

だったのだが・・・・
晩秋に向かう肌寒いある朝、具沢山スープというかほぼ鍋のような野菜スープを作ったその日。この大失敗だったジャムが起死回生を遂げるようになったのだった。

わたしのスープごはんは1杯めと2杯め、3杯めとそれぞれ味を変えて食べていく。ポン酢⇒ナンプラー垂らす⇒パクチーちらすとか、そのときの気分と家にある食材で適当に美味しく食べるのが好きなのだが、この日ふと大失敗だったレモンジャムをかけてみようとふと思ったそれがレモンジャムの新しい門出となった。

レモンの苦みが柚子胡椒とは違ったさわやかでありながら裏手パンチのような何気に効いたアクセントとなっている。
それが斬新かつ、意外なおいしさ。

当初の予定のジャムとしては大失敗だが、調味料の一種として使うならばこれはこれで有り!と思った。

タルトタタンももしかしたらこんな感じで誕生したのかもね。。。
どうせならば美味しく食べたいわ。。。と、考えあぐねてなのかわからないけれど、偶然が必然となって新しく誕生。

もしそうならば、自分のあれこれのたりなさも主がおっしゃるように「作って開発して長所が一層輝くようになる」ということも起こりうるんだろうなと。そう慰めとともに、ほのかでありながらも確かな希望が生じたのであった。