何を祈ったら良いのか分からない時。>シンプル編

祈れない・・・・とか祈りづらい・・・
っていうか、私の祈りって聴かれるの?
つーか、祈るって一体、何?
などなど、いろんな状況があると思うのですが、

シンプルな方法!というならば
「神様の御言葉(みことば)」でお祈りするのをおススメします。

どういうことかというと。。。

聖書を読んで、気になる事。
主日の説教を聴いて感じた事。
御言葉の分からない事、等々をそのフレーズで
神様に訊いてみることが
いつの間にかお祈りになります。

「神様、これ意味が分からないです。どういうことですか?」とか
「わたしこれが分かったら、行なえると思うんです。なのでわかるように悟らせてください。」
とか、御言葉を聴いた感想などを
全部ぶっちゃけで神様にそのまま告げていくと

抱えていたもやもやとした灰色雲が消え去って
結局、自分がどうしたいのか?が見えてきて
神様に明確に求められるようになったりします。。。

「~してください」と祈るのもいいですが

「聖書にこう書いてあるじゃないですか。求めよそうすれば与えられるって
なので、この意味を教えて下さい」
神様の御言葉を引用しながらアピールしてみると
神様は放っておけないな・・・と思って教えて下さる感じがします。

分からないことがわかるようになる時に、祈りの味を味わえます。

なので、祈れない~。祈りって分からない~。
って、言う時が一番、お祈りの味がわかるチャンスの時です。

なので、
ちょっといまいちだな~自分。。。とかんじる時は
わかるようになる瞬間の手前にいるのだ。
と自分に言い聞かせてお祈りしています(笑)

大切なのは、ありのままの心を神様に向けていくこと。
そこから「切実さ」は始まる。
そう、おもいます。

トラブルに向き合う時、出口が見える。

摂理で、心情トラブル(コミュニケーション不足で誤解が生じたり、すれ違う様)を
経験することは誰しもあると思う。。。

今回、「摂理の筑波大学生」の記事を読んで
本当にそうだな~と深く共感。

何が大事なのか?
その「結局」について、非常にわかり易く、核心をついている内容です。

人対人のトラブルというよりは、神様と自分。

天とのトラブルが解ける時、
地上でのトラブルも解決される。

まさに、
地上で解かれるべきものが解かれたら、天でも解かれる。(マタイによる福音書18章18節)

自分の気持ち的には、トラブルって暗澹たる気持ちになりますが
良くなるチャンス・希望の時でもあります。

なぜならば、考えの癌細胞を取り除くような手術をするような機会でもあるので・・・。

思い浮ぶ聖句があります。

忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 (ローマ人への手紙5章4節)

自分のリアルな心を神様に告げて報告・連絡・相談しながら
良くなる希望を掴めるように
忍耐・練達の過程が真理の光に照らされているので
希望そのものだと
自分を省みて、そう思います。
halleluiah☆