寒空の下、餅切り分けながら。

年末恒例の餅つき。

いつもはとくに関わることはない私だが、父の都合で午後から作り始めたゆえに、日が暮れる前に終わらせるべく猫の手として駆り出されることに。

山の麓のような家なので、3時過ぎると日が入ってめちゃくちゃ寒い。その前に終わらせねばということで、和菓子製造でバイトしたことがある経験値活かし、もち切りマシーンさながら切り分けた。

昔はやりたいと言っても、手伝わせてもらえなかった(うまくできないと思われてたのか?)から、携わらないのが定位置な自分だった。

そんな振り返りすると余計に自分も、親も年をとったんだなぁと、感じつつ、餅を切った。

配り歩くのが喜びらしく、餅屋として開業してもいいんじゃという量を切った。

こんなに作らなくても、と漏らす母。に、聞こえないふりをしてるのか、ごまかすように陽気な父。年末、餅屋副業にしてもいいんじゃと調子づく私。

来年も、こう出来るかは色んな意味で分からない。だから、なんだか楽しく出来たこのひとときはきっとあとで寒かったけれど、良かったよねと思える気がする。

こんな和やかにともに過ごすことができること、以前を考えるとホントに新世界みたいなもの。

まだまだ愛も、平和も成すために培うべきものもろもろありすぎる、まことに足りない自分ですが

こいつぁ幸先良いなぁと、年の瀬に、これからのより良いときを感じたのだった。

 

 

今だから言えること。

今から17年くらい前、何歳か上の人が「ホントに無罪ならば逃げないはず」だと「海外を逃げ回っている」と、言っているのをその当時、まだ神様の愛もイエス様が伝えたかった救いについても自分に結び付くには、まだ遠い感じがしていたころだったけれども、それは違うと、異を唱えたい思いを抱えたものだった。

具体的になぜそうではない。と、反論出来なくて、そんな自分に歯がゆさというか、やるせなさばかり感じるしかなかった。

今は、はっきり言える。

あの時、現地マフィア?ヤクザ?に付け狙われても、食べ物もなくても恨まず、ひたすら神様を呼び求めながら、真理と愛とは。と、伝えてくれたその言葉と姿が、憎しみ憤りとは無縁なその笑顔が、目には見えない神様を見えるように教えてくれた。それが、文字どおり、命懸けだから。

生きるより、死ぬことのほうがいいのではないかとばかり考える私には、たしかな光となったこと。

今私が生きているのは、

死ぬことばかり考えなくなったのは、

ニゲテルなんて言われようが、誰よりも命について向き合っている、ひたむきなその総てによります。と。

こうなるから、そうするしかなかったんだ。と、

そう事実を伝えたい。