水不足とマイナス10℃を体験して得られたものとは。

雪が降る前は、約1ヶ月以上まとまった雨が降っていなかったため、関東近郊ではどこもかしこも水不足!と叫ばれるようになっておりましたが山も然。

生活水はすべて山の水。
ゆえに水量がなくなると、蛇口から水がでなくなります。

蛇口から水がでないというのは、けっこう精神的に大きな打撃をうけるもので

いかに、水が出るのが当たり前と思っていたのか。そして、その水に生かされていたのか。その二つを同時に味わう経験になりました。

水圧が足りない関係で、我が家はお湯が出なくなるだけでなく、水が出なくなる事態も生じるので、なるべく貯水をしなければならない状況があり、
浴槽だけでなく、20リットルのポリタンクも出動させ、またバケツにも水をはっておくようにしたのですが、

やはりそれらも凍りました!!

すごいなマイナス10℃!!!

マイナス5℃くらいになると、布団の中にいても寒くておなかや体が痛くなったり頭痛も生じたりしてくるのですが(たぶん、それは家が古いせい)

凍った井戸水を割って水浴びをしたチョンミョンソク牧師の真剣さというか命がけの信仰(朝の祈りの前に、薄氷どころではない厚みのある氷を割ってまでして身を清めるための水浴びをされた)を改めて驚愕と畏敬の念を覚えます。

神様に、イエス様に自分のためだけでなく世界のため、民族のために祈られていた青年時代の先生を思うと、胸が詰まるのは、わたしだけでなく、

その人となりを知っている先生の故郷周辺にいらっしゃる住民の方々も先生の状況を非常に気の毒に思っているという話を聞き及び、

裁判やメディアが凍てつく冬のようなありさまであっても、心を痛める方々の存在があたたかい灯火のようにかんじました。

先生のその真心の祈りの条件に、神様が薬水が湧き出るようにしてくださった。というところまでが、チョンミョンソク牧師の生きてるレジェンド。
祈って飲むこと!が重要ですが、信仰心がある方は宗派問わず、奇跡が起きているのでその逸話を本にされているそうです(韓国語のみの出版)

あぁ寒くても清廉な空気のかの地に行きたくなりました。
とりあえず、少し似ているくらいに寒いところにいるので、目を閉じて行った気分を満喫します。

自分だったらできないはずのことも、できる!ので面白く楽しい。

今週の主日の御言葉(説教内容)は「神様によりたのみはっきりと行ないなさい」でした。
これはより頼み甲斐がありすぎる!!と思いました。

くしくも、今週は第三寒波による雪の影響が各地にありましたが私も例外ではなく、実家から転居先に戻るのに、雪の中峠を越える必要がありました。

全知全能だとしても理知のと法則の神様ですから、私の責任として、本当に峠を越えても差し支えないか、積雪量や一時間当たりの降雪量、また事故の発生の有無など30分単位で調べたうえで、先住者のかたにも、今回このルートで戻る場合はチェーン必要ですか?必要ならばチェーンも装着していきますという体で、天にも地にも確認しつつ、向かいました。

結果、自分では絶対に開けないであろう扉を開いたような体験となりました。
峠のカーブで滑る滑るわーっとなったときに後悔が津波のように押し寄せてきましたが、滑る瞬間、瞬間、神様~っと助け呼び求めると、「滑っても前に進めればいいじゃないか。通行量がないルートを選んだのだから、対向車もこのようにいない。そして、後ろにもいない。だから、滑っても問題はない。」という考えが下りてきて「そっかー確かに!滑っても前に進めているし(さすが四駆!すばらしい。今まで二駆動だったので威力を痛感)なにより、玉突き事故とか、滑って対向車にぶつかるとか、そういう怖さはない!!感謝っ!!!」となり、意気揚々、感謝、感謝のなか滑るとしてもいかに怖くない滑りにするか、工夫と研究をする機会になりました。(タイヤ、ケチらずに最新モデルを買っておいて本当によかったです( ;∀;)買うように導いてくださったことも神様に感謝。)

現実のなかで、何が必要で何が不要か?と、冷静に見定めることは、感情が邪魔するとむずかしいものです。「怖い」とおもってしまうと、立ち止まりたくなってしまいます。
そういうときに、神様を呼び求めると、手を取って導いてくださったり、背中を押してくださる瞬間を体験できるので楽しくて面白くなるので信仰生活なしには生きられないというか、このように助けてもらって生かされ、生きてきたなぁと感謝と喜びにあふれつつ、今回の経験の応用できたらいいなぁとおもいました。