ほぐすこと大事。

ほぐすこと。

とどこおりをなくすこと。

体も、こころも。
そして、時間も。

どこかに、無理な力がかかるというか、心の均衡が崩れるというか無感覚っぽくなる時
その時は体がどこかこわばったり、心も固くなったり、時間もあるようでないという焦燥感に駆られるものだと思った。

おや?私今否定的じゃないか?どうしたんだ。と思って点検をしたところ
首のリンパがパンパンで触るだけで痛くなっていた。
体と心はつながっている。
お休みの人が多くて対応件数がその分、しわ寄せが来ていた今日の業務。。。
神様と一緒にしたくても、自分の考えでいつの間にか苦しくまたなっていた・・・。
顎下から首のライン肩に向かって、息を吐きながら上から下にただ撫でた。
固く張っているところを少しつまむように、2回3回、繰り返してみた。

私の考えで一人で苦しくなっていたことがわかった。
神様は隣で助けたかったけれど、
私が神様を呼ばなかった・考えなかったことで、神様も私も苦しかったんだな・・・
なんでこんなに忙しいんだ。なんでみんな休んじゃうんだろ。
どっかで詰問してしまう考え知らずにストレスを培養してしまっていたのだとわかった。

神様を呼ぶ・考えると考えが変わる。
神様は絶対肯定の神様だから。
人は見える範囲で見えたまま判断をするが、神様は見えない心と未来すべてを見通して導いて下さる。
だから、人間の考えと神様の考えは絶対的に違うのは考えの次元だ。

「神様の考え」を一言でいうならば「肯定的」

全てを受け入れ、善を目的にして力を与えてくださる神様の考え。
チョン・ミョンソク先生から御言葉を学んで思う。

忙しいからこそ、心を失わないようにもっと神様を呼んでみよう。
自分を守って、誰かの助けになるように、最善を尽くそうという考えですれば、新しい次元に上がるチャンスだよね。

パンパンに張った首を神様と一日を振り返りながらマッサージした時に、そう思った。

そうなのだ。
いつも、事象が問題ではない。自分の考えが問題なのだ。

どのようにとらえて、どのように判断し、どのように対応・行なっていくのか。
あぁ私、また繰り返しちゃっていました。。。すみませんと神様に謝った。

神様は、わかったからいいじゃないかとおっしゃったかんじがした。
マッサージに使っていたBio-oilのやわらかく甘い花の香りが固くなっていた首と心をつつんで溶かしてくれた。

奇跡を得るには?

「18.行なったなら奇跡だ。」
摂理 鄭明析牧師の明け方の箴言より

御言葉を行なう時それを感じる。

奇跡って、自分が知り得ないことを得る時だと私は御言葉を行なってみて思う。

奇跡は大きなことだけでなくて、知らないことを知るようになる
小さなことだとしても、自分の考えが変化することが奇跡だと思うのだ。
なぜなら、外見はどうにでもできるが内面を変化させることは本当にむずかしいから。

 

美容院でシャンプーをしてもらった。
とても的確な洗い方でさっぱりした。
的確なマッサージと力の加減がいいなと思った。
それで、その方に良いですねとお伝えした。

2016年6月5日主日の御言葉
「<人間>もどう接し使うかにかかっているし、<環境>もどう接し使うかにかかっている」

同じことを伝えるにも伝え方を工夫してみた。
1回目は言葉で。
2回目は言葉に笑顔を添えて。

2回目は伝えた時に、笑顔が返って来た。
なおかつ、そのあとに髪の毛を乾かしてもらった時とても良い雰囲気でお互い楽だった。

これか~なるほど。
自分が思っていることをただ伝えるだけでも、相手が力受ける伝え方ってあるんだね。

わたしは人を褒めるとかあまり思っていない。
ただ、いいものはいい。
良いものはいいと伝えることで、その良いところがよりよくなるならば私もうれしいなと思う。
だから事実を伝えるだけなんだが、
感謝に笑顔を添えただけで自分の予想していない反応が返ってきたので、
伝え方・接し方って超重要だと思った。

行なって得られるものがある瞬間、御言葉楽しい!嬉しい!って思う。