いまもなお自殺発生率が全国一位、やまなしにて死にたいと思っていた自分が今思うこと。

毎年、自殺者が多い県として上位にランクインする山梨は人口10万人という単位でみると最多という。
分からないでもない。なぜならば、私もその当事者だからだ。

当事者というのは、山梨で生まれ育っているということ意味でもあり
また、死を選択することが自分にとって最良なのではないか?という考えと長らく過ごした過去がある、自殺願望が生活に根付いていたから。

どうして、死ぬことが希望的に見えたのか?と問われたことがある。

それは、一言でいうと、生きることが死ぬことよりもつらく、苦しく感じられるから。
ソレを具体的に言葉で表現しても、そういう問いかけをしてくる向こう側にいるヒトには一晩かけたとしても伝わらないだろうという確信が強く沸き上がる。

自分でも、できるならば希望と喜びで生きていきたいという願いがある。
しかし、自分の生活、自分の人生をみたときにそれを抱ける要素が見つかりづらい現実。
そう感じてしまう自分が、非常にいたたまれなくて。
そう考えてしまう自分が、本当に申し訳なさすぎて。
苦しくて、息がしづらい。

自分でも気づいている。最良の選択ではないということを。
しかし、出口が見えない息苦しさの中で、しょうもない自分は死んだほうがいいのでは?という考えが得策に見えてくる。
そうなる理由が自分自身と自分のいる環境すべてならば、「いなくなってしまうこと」それが最善策に見えてくるのだ。

居るようで、要らないならば、要らないだろう、居る必要が感じられないから、居なくなりたい。
生きる意味、自分の存在意義がわからなくて、辛くて苦しくて「消えたくなる」という感覚。

こんな自分が生きていていいのか分からないまま、でも、朝日は昇る。
世界が美しく輝くが、そのかがやきを感じるほど自分の中にある暗闇が辛い。そんな風にかんじながら、日々生きるって、天国の反対側、まさに地獄だ。
人は地獄に行きたくて行くのではなくて、天国に行く生き方がわからなくて、地獄へ行くと後に教えてもらったことがあったが、
それもそうだ。と納得しつつそれとともに、天国を知らなければ、天国への行き方を知らなければ、地獄のような辛い場所にたたずむしかないそう天に告げまくった。

肉体は日々年老いていつか死んでいくのに、心は、中身は一体何なんだろう。だから、一層辛い。
その心の辛さを死が解放してくれるならば・・・と、思えてしまう。

自分が存在させてもらっていることも、ありとあらゆる誰かの存在があっての有難いことであること。
それは心のどこかで分かっているとしても、自分自身を愛することが出来ないと、生きることは申し訳ないことだらけになる。
「生きていても私には意味も価値もない。だから辛い。」
そういう自分と自分が見るやまなしのツマラナイところが非常に似ていて、なおかつそれらから抜け出せないから、「死」を選択することが抜け出せるたった一つの方法のように見えてしまったのかもしれない。

そんな当時の自分に今は言える。

同じ場所にいても、見え方、感じ方が変わる。新しくなれる。
それは、どうやってかというと、考え方が変わることだと。
他人はそれを「洗脳」というかもしれない。
けれども、自分と自分のいるところすべてを呪って生きているとは言えない生き方をするよりは、ずっといいはずだ。
というか、年を重ねてもう若いとは言えなくなったから今だからこそ言える。
若い時よりも今が幸せで、これからもっといつか死ぬ日が来るまでもっと私はよりよく生きていける。
自分も、自分の周りも全部まとめて生かそうとしてくれている大きな愛を知ることができることは、本当に幸せなことだ。と、暗闇にいた過去の自分にそう言ってあげたい。

父を伝道したいという気持ちが死んだ年末年始からの復活。

摂理、宗教っていうワードで団体内外問わずに、つぎに来る単語は「伝道」「勧誘」であると思う。
それはなぜ?っていう話を今日はしたいわけではない。
タイトルにあるように私は家族、親を伝道したい。そうかつて、十数年思っていた。が、その想いがまったく微塵にもなくなってしまったのだ。そう、完全に死んだと思った。

なぜか?というと、

例えば
健康のために、よかれと思って心配して、声をかけることも、憤りになるくらいならば、放っておくしかない。
たとえば、外から帰って手を洗うということは、昨今いろんな意味で身につけるしかない世情がある。としても、手を洗わないで冷蔵庫を開ける姿を見て愕然としつつ、それはどうかとおもうと言ったら、激怒されるとか。

一人の人間、その意思は尊重するしかないというそういう以前の問題。そういうことがあまりにも、本当にあまりに多く、自分の思うとおりにできなければ、怒り出す。そういうことばかりで、もう無理。そう、好きに生きてその通りに人生を締めくくってそういう霊界に行くしかないのもそれも仕方ない。そう思った。

なんで、そもそも伝道したかったか?というと、

苦労すること、無念なこと。そういうことが人生には起こりうるけれど、それらも意味があって、そういう話を知ったら、生きることが本当に嬉しく甲斐があることばかりになる。それを自分の人生に取り入れて生きることができるうちに、早く得てほしい。
そういう思いで、私は聖書、神様の御言葉、礼拝、チョンミョンソク牧師、教会、教会の行事、様々話しつつ、アプローチ続けてきた。実際、10年くらい前までメンバーと会ったり、教会行事(スキー合宿とか)、クリスマス礼拝とかにも参加して、「みんなに、よろしく」と言っていた時もあった。

でも、自分にとって必要と思えないならば、それまでなのだ。

それでいいのか?と思いつつも、どうしようない。そう、思っていた。
そんな折に1月7日の壮年部の栄光行事でチョンミョンソク牧師が「壮年部、60代、70代、80代の皆さん、そのいつか行く日が近い人がいます。だから、健康に生きることが、神様への栄光です。そして、霊が行くところが素晴らしいと、もう地上に帰って来たいとは思わないくらいです。行く日が近い人たちも怖がらないで。」そう何度も話されている姿、その切々とていねいに顧みるその心、まごころ感じる愛に私の濁みきったココロが洗われた。

後悔がないように、自分も生きたいように、親たちもそうなはず。
その手助けをするように、わたしはすべきだったのではないか。
自分の、立ち位置、難しいことが多いのだが、ホンモノってなんなのか見せてもらえて、矯正をしてもらって、死んだところからふたたび息を吹き返した。

死について恐れと不安でおびえることなく、今という瞬間の肉体の人生をよりよく大切に生きることが出来るように教えてもらえることが本当に貴重だなと。

やはり、先生は、先生なのだ。そう当たり前ながらも、改めて思う。