自殺防止月間最終日に思うこと、今生きている奇跡、どうやって自殺止められたのか。

交通事故で亡くなる方より、自死によって亡くなる方の人数が多いという驚愕の現実に国が目を向けて様々な施策を講じている様子がありますが、その一つが自殺防止月間。
死ぬしかないんじゃないかと思うようになったところから、そう思わなくなった今。
どのようにして自殺防止されたのだろうかというと振り返るきっかけになりました。
一言でいうと、チョンミョンソク牧師の生きざまによって自殺防止されたようなものだと思います。

時にはヤクザ者から殺されそうになりながら、中国でひどい拷問を受けながら、それでもたえず神様に感謝することを呼吸のようにしながら、神様の愛と真理はどんなものかを伝えることを最優先にしてきたチョンミョンソク牧師。
近くにいた人が、お願いだからもう伝えるのはやめてくださいと止めたことがあったらしい。命の危険があるから今は伝えるのをやめるべきだと。
でも、止めなかった。今伝えることで、生きる命がいるならばと。
わたしは、その教えをリアルタイムで聴いて、そして私の生活が人生が凍えて座り込んで死んでいくままだったところから、温かい陽の光に包まれて体が自由に動き回るようになりました。

人は考えで生きていく。
だから、その考えが重要だ。
そう説いて、どのように考えるべきか?どのように行うことが後悔がない人生なのか?それを命懸けで教えてくれる先生を通して生き返りました。

私自身が私をあきらめて、死ぬしかないと思っていたのに、
その私を生き返らせる事が出来たのは、まさに奇跡。

その命を懸けて教えたことを全部なかったことにするような行動をするわけがないと思うのです。

何よりも、やっていないことをやったと言われるだけでなく、投獄されるならば、やり切れない思いでいっぱいになり何もしたくないはずでしょう。潔白なのに、それと間反対の扱いを受けるならば、神様に見捨てられたと思ってしまっても不思議ではない。
そういう状況で、それでも伝え続けて来られました。人生のたしかな希望とは何か。神様の愛はどんなものか?行ってはならない場所は永遠の地獄だと。楽な場所ではなくて、一番ひどい場所、辛い状況でより一層具体的に伝え続けて来られたそのすべてが、私なんかの言葉よりも、なによりも先生ご自身の真実さを証ししています。

陥れる祖母のおかげだと思えた日。

ご近所や親戚に、接するときと家族(とくに嫁である母へ)に対するときの言動が全く異なるというか、母にキツイ当たりを日常的にしている本人なのに、むしろひどい仕打ちを嫁から受けていると涙ながらに語る姿や、祖母の意にかなわないことがあるとニコニコしていたとおもったら相手がいなくなったとこで人相激変させながら「畜生めが」と罵る祖母の二枚舌の姿を子どもの頃から目の当たりにしたことは、ヒトとは恐ろしい存在であるゆえに、安らぎなき不確かな世界それが私の見るこの世だった。

私など生まれてこなければ良かったと思うようになった主要因かもしれないが、むしろ今は良い経験だったと感謝するようになった。

それは、チョンミョンソク総会長牧師を訴える方々の存在をよく理解できるから。

無駄な経験は何一つないとおもえるようになったこと有り難く、チョンミョンソク牧師が無実であると改めてなぜ思うのか改めて文字にするのも必要なのかもしれないと思う今日この頃。