祝福とは・・・。

朝、母が父に小言を言っているのが聞こえてきた。

「いくら、キュウリが好きだからって、苗木60本って作りすぎじゃない。」

毎日毎日、キュウリが消費しきれない有様をみて今更な苦言を呈している。。。

たしかに、一言何か言いたくなるほど
キュウリがハンパない。

毎日毎食、キュウリを食べている。

キュウリが餌?らしい河童だとしても、これほど食べないんじゃないか?
というぐらい食べている。

それでも、終わりが見えない。

今我が家は、キュウリの祝福を手におえきれなくて、災いになりつつある。

キュウリが大好きだから。キュウリだけ食べててもいいという思いがあって、きっと父はつい苗木60本も作ってしまったんだろう。

ただ黙っている父の心中をくみ取るのばむずかしいが、毎年このようなことを繰り返しているので
多分、父は来年もキュウリ天国を実現しようとするのだろう。

さしあたって、キュウリを消費すべく
知恵をいただきながら、調理に勤しむ。。。。
食べてもキュウリ、食べてもキュウリだと、キュウリは生食でしょうという概念でマンネリが生じる。
なので、スープに入れたり、野菜炒めにしたり結構、チャレンジしている。
というのは、
育ちすぎて、麺棒みたいになったキュウリはみずみずしさよりも、瓜っぽさが際立っているため。
このくらいになると、鶏だし系春雨スープの具材にしたり、ごま油で炒めたりするとおいしい。

近日中にレシピ上げるかも・・・。
(しかし、市場ではこういうキュウリは出回っていないため、まったく参考にならないか(^_^;))

ひとまず、祝福とは手におえてこそだなと、改めて思う。。。

このようにこうだ・・・・か。

昨日、ツバメたちが無事巣から飛び立った。

空っぽの巣をみて、すこしさびしいけれど
巣から誰も落っこちずに、全員飛びたてたことに心から安堵。

5羽の兄弟だったのに、食い意地というか生命力というか性格はそれぞれ違う。
親鳥もがんばってそれぞれに均等にえさを口に入れてあげよとしている努力は見られたけれど
いつも1羽が餌をくいっぱぐれていて、ほかの4羽よりやはり体の大きさが小さかった。
昨日、朝ものすごい大歓声というか大声援的なさえずりがあったが、
朝から一羽ずつ巣から飛び立った様子。
しかし、朝9時頃の時点では、その体の小さい一羽が一人で巣に心もとなく佇んでいた。
まだ体が小さいから飛べないのかな?
親鳥は飛び立てない一羽をまだ育て続けるのかな?
いろいろと気になりながら会社に向ったが、夕方巣を見上げたら空っぽになっていた。
父の情報だと10時頃に最後の一羽が飛び立ったそうだ。

ちゃんと飛べたんだ!
そして、一人じゃなくてみんなと飛んでいるのを目撃できた。
嬉しかった。

夕方、聴きなれたさえずりがするので、庭に出てみたら近くの電線に五羽の兄弟と少し離れたところに親鳥二羽が
止まっていた。
成長して、全員が巣に入るには狭すぎてはみ出していたので巣には入らないというか、入れないみたい・・・。

孵化してから約半月。
8/1に飛び立ったというのが、何か意味ありげ。
そして、また私に何か天がメッセージを下さっているようで

もう一度巣を見たら、一羽だけがでーんと巣を占領していた。
ちょっとうれしい。
が、この巣を占領しているこの一羽は子供のほうだったようで、親が餌を上げていた。
親より大きな体になっているし、もう飛べるのに。。。。

わたしに向けられた「悟れ!」というこのメッセージ。
解くべく、祈ります。。。